優秀賞
第1回 看護・介護エピソードコンテスト『私に気づかせてくれた訪問看護』 鈴木 ひとみさん

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「来月いっぱいで、退職したいです。」その一言がきっかけで、病棟から抜け出してデイサービスや施設等を経験させてもらった会社を悩みに悩んだ末にやめた。また病院に戻るのか・・・。いや、4年のブランクは年齢的にも厳しい・・・。でも、子供との生活の為にも働かなければ、自分の働きたい気持ちの為にも頑張らなきゃ・・・。

そんな気持ちを抱えたまま退職が決定してからの私は、ずんずんと勝手に訪問看護の道を選んでいた。

「あれ?自分ってこんなに訪問看護に興味あったかな?」と思うほどであった。
自分の住んでいる所ではなく、隣の町で、全く知らない環境で働いてみたい。そう決めて、隣の名古屋市に就職を決めた。通うのは車であり、朝の通勤渋滞の覚悟もいる。シングルマザーとして子供の為に早く帰ってくることもなかなか出来なくなるだろう・・・。それでもやってみたい。
「ねぇねぇ、ママ名古屋の方で看護婦さんやってみようと思ってるんだけど、いい?」「は?ママが働いて僕を育ててくれてるんだもん。ママ、頑張ってね。僕、寂しくても我慢するよ。お手伝いもするね!」
息子が手伝いなどしない事は、最初から分かっていたが、それでもその言葉で隣町の職場を選んだことが肯定された。

今まで、病棟勤務ばかりでゆっくりと患者と話す機会はなかった。それが嫌でデイサービスや施設の看護師として3年程度在宅領域の看護師をしてきた。でも、どこか看護師として機能していないと思っていた。今まで経験したどこも、そこにいる高齢者は自分の住み慣れた家じゃないところに居て、そこでのコミュニケーションだった。自宅で本当にのんびりとしているからこその本音が出たり、表情があったり、動きがあるにきまっている。私はそれが見たいし、そうすることでゆっくりと話したり、必要なことができたりするのではないか。さらに自分の性格からして図々しいし、少しくらいは「お邪魔させて頂く」ことで、作法や知らなかったルールも学べるかもしれない。ゆっくりと話せることで、本人だけじゃなく昔の事やご家族の事、いろいろな話が出来るなんて今まで一度もなかったことだし、ゆっくりと看護がしてみたい。
久々にわくわくしながら、新しい職場を見つけ、「あれ?昔は訪問看護なんてさ。なんて言ってたのに、なんでこんなに不安になってるんだ?」と自分の変化にも驚きつつ、訪問看護師として再出発した。

職場の方に連れられての訪問の同行。道が覚えられるかどうか、一人で訪問するようになったら、自分の判断次第では大変なことになったりするんじゃないか、などの不安が強かった。でもそれよりも、「へぇ、お客様のお宅にお邪魔する時、こんなに快く受け入れてくれるんだ。ここで暮らしてみえるんだ。やっぱりこんなになるんだ。」のような感覚の方が大きかった。
1か月ほどして、初めて新規でのお客様のところへ訪問に行った。
Iさん、70代男性。在宅酸素を使用している色白の方である。おどおどしながらの契約をした数日後、初めての訪問日が来た。初めての訪問日は、彼の誕生日であった為、誕生日カードを持参して訪問した。 「あーりがとねぇ~。」と契約した時と違い、顔をクシャッとして喜ばれた。家の環境は必ずしも良くない。妻が家事や、障害のある30代の息子さんの面倒もみながらIさんの介護もしている状態であった。食事もほとんど出来ておらず、プリンやおせんべい、弁当などを買ってきて食べており、お風呂は使えなくなっているとの事で、身体もしばらくは拭いていないとの事であった。肺炎も繰り返している。部屋も物が色々なところにあり、溢れかえっている。初めてしっかりと任された現場で勝手に口から出た言葉は、「頑張って一緒にきれいになって一緒に元気になっていきましょうね!」であった。 「あんたを頼りにしとるで頼むね。」

週に2回の訪問で、どこまでできるか分からない。でもまずこの方に必要なのは身の周りの清潔と栄養状態の是正だ。しばらく病院ではないところで働いていても、どうすればよいかの判断はまだできている自分に安心しながら、自宅にあるものでどうしていけばよいかを考えた。Iさんの家の中や表情を思い出すだけで、次はこうしていこう。次はこれを持って行こう等のことが浮かんだ。

何度か訪問していくうちに、Iさんは私を待っていてくれるようになった。時には、電話をかけて下さるようになった。 依存されすぎてはいけない事にも注意しないといけない事もあり、戸惑いの気持ちもあったが、Iさんの奥様にも「あんたがそろそろ来るころだからと思ってね。」とお部屋に扇風機を出してもらったりと、その気持ちがとても暖かく、 決して環境が良いわけじゃないIさんのお宅に訪問することが、むしろ楽しみであり、時々行けない時には気になって代わりに訪問した同僚に「今日、どうだった?」などと聞いてしまう始末であった。そんな中、訪問している時は元気にふるまうIさんが、私が訪問していない時は呼吸が苦しいことや、気持ち悪いなどの症状でご家族のお薬までも過剰に内服していたり、1日1回の服用の処方薬を効果がないからと何度も内服していたりしている事が分かった。元々、薬に頼る方ではあったが、ここまで薬に執着し頼っているとは・・・。本当は私が思ったり感じ取ったりしているよりもずっと苦痛があるのだ。段々と状態が悪化していく事を感じた。

訪問すると「待ってたよ。そろそろ来るかと思ってた。」といつも通り迎えてくれる。清拭や、洗髪をするたびに「私の仕事上での評価は、マイナス方式なんだ。だから最初はみんな100点からのスタートなんだ。あんたみたいな人が将来上に立てるといいと思ってる。さて何点かな?」と遠回しに喜びほめてくれた。その顔と徐々にむくんでいく下肢と、少しの動きで息切れを起こしてしまう状態に、どうにもしてあげられないことにもやもやした。

週に2回の訪問は続いていく。その度に、少しずつ話している言葉も時々以前とは明らかに違う時もあった。あんなに薬を頼りにしていたのに飲んでいない時もあった。「あんたが来たから、もう大丈夫だわ。」と、いつも通りの言葉。 しかし食事も辛そうであった。ケアマネジャーにも相談し、ベッドの横にトイレを置くことで、衣類の汚染を防ぎ、奥様の介護の負担を減らす事と、Iさんの呼吸状態が少しでも楽になるようにした。それでもすぐに歩けなくなった。1週間ほどお宅に行くことが出来ず、10日ぶりに訪問した日の事、明らかに表情が違っていた。
「誰が来たー?はーえらい。」と私の事が分からなくなっている。
「私!わたしだよ!声でわかってたじゃない!Iさん!」
「そうだったかなー?」
「Iさん、酸素もつけてないじゃないですか!いつからこんなになっちゃったの?」
訪問看護師らしからぬやり取りであったが今でも覚えている場面である。

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