優秀賞
第1回 看護・介護エピソードコンテスト『幸さんのメッセージ ~難病の人たちに支えられてきた私の訪問看護~』 筒井 英子さん

私が訪問看護を目指した理由。それは単に実父に将来の職業として看護師を勧められたのがきっかけでした。運良く大学病院付属看護学校に合格、同級生には看護師に夢描いてきた人もいれば理系の滑り止め受験で致し方なく入学してきた人、様々な級友がいました。その中で私は何となく資格をとればいいかなと思う位の安易な気持ちで入学しました。

2年生になると臨床実習が始まります。日々の課題に追われながら看護学生として実習をこなす日々。その中で今も忘れられない患者さんが幸さんです。幸さんは40代のALSの患者さん、当時難病患者さんは病院で生涯送るのが通常でした。特に大学病院には様々な難病患者さんが数年に渡って病院生活を余儀なくされている時代で幸さんも、そのお一人でした。ご主人、二人のお子様の母、大手会社のキャリアウーマンとして幸せな生活を送られてきた中、30代でALS発症、私が看護学生として受け持ちさせて頂いた時は寝たきり、全介助の状態でした。コミュニケーションはかなりか細い状態で何とか構音可能でした。

そんな幸さんの一日の生活に疑問を持ち私は一度だけ質問をしました。「どうして排便の時間がいつも13時半なのですか。」人の排便ペースは人様々ですが私はなぜか毎日13時半にナースコールを鳴らされる幸さんに疑問を感じてしまったのです。幸さん曰く「看護師さんが一番ゆっくりと接してくれる時間だから。」そして私に「おうちに来てくれる看護師さんになって」と告げられたのです。幸さんは温厚で看護学生の受け入れもよく常に看護学生の受け持ち患者さんとして人気のあった人、その人がどうして在宅療養が推進されていないその時代に私だけにこのメッセージを送ってくれたのか疑問でした。ただこの時を機に私の気持ちに変化が生じたのは確かで、ただ何となく看護師になれればと思っていた気持ちから患者さんを家で支えられる看護師になろうと思い始めたのです。

卒業後、とりあえずは病院での経験をと思い6年間の病棟での看護師経験を踏み、出産を機にH7年より在宅看護に転身しました。訪問看護ステーションでは2人の在宅難病療養者さんが特に印象に残っています。今度はこの療養者や家族が私を支えてくれました。

在宅で最初に出会ったYさん、60代女性、ALS、介護度4、コミュニケーション構音可。独身OLを貫いてきた人で実弟さんと二人暮らし。ご自分の病状が悪くなっていく中、弱音を吐く事もなく、私の娘が1歳であることを知ると訪問看護を始めたばかりの私に「赤ちゃん保育園で待っているから早く帰ってあげや」と常に私を気遣ってくれた人。1日1回の入浴が脱力した身体を蘇らしてくれると常に看護師を心待ちにしてくれていました。そんなYさんも2年も受け持つ間に病状が進行、食事もほとんど摂取できない状況となりました。そして延命を望まないご本人の希望により自然な経過を見守りつつ入浴介助の日々は続きました。

毎日行っていたYさんのお誕生会、この年もご自分が食事摂取できないのにもかかわらず、お世話になっているスタッフの一年に一回の顔合わせ会だからと会は予定通り開催。不思議にお誕生日では食事が進んでいたこと、いつにもない多弁ぶり、久しぶりにYさんの笑い声を支援スタッフみんなで喜び閉会。その翌日、前日の心地良い余韻を胸に抱きながら出勤した私は絶句しました。管理者から「Y さん、夜中に呼吸困難で病院に運ばれた。」それから4日後病院で静かに永眠されました。あの誕生会のYさんの気配りの効いたお姿はまさにあの人の行き様だったと思うに他ありません。

次のステーションで出会ったTさん、70代後半男性、ALS、介護度5、呼吸器装着。妻と二人暮らし。急性進行の為、病院での説明が十分理解できないまま、呼吸器を装着された療養者です。いくら在宅医療機器が簡単になったとは言え、70代の妻に呼吸器装着の夫の介護をすることは吸引・胃瘻の管理・排泄の管理すべてに渡り大変な介護負担となります。そんな妻を気遣い常にTさんは私に「お母さんの介護が楽なような介護をして下さい」と告げられていました。朝9時に看護師が訪問すると日々Tさんの口の中はあふれ出しそうな唾液の量。下手すれば窒息してもおかしくない位の痰の量の多さでしたが、Tさんは夜中の妻の睡眠時間を気遣い妻に吸引の要望をされませんでした。私たちも吸引の回数が足りないことに気付きながら、そのご夫婦らしい介護を見守りました。妻から「お父さん、なんか顔色悪いし、息の仕方が変や、どうしよう。」心疾患も患っていたTさん、看護師の直感で何となく普通じゃない気配を感じながら緊急訪問。頻脈と冷や汗、意識レベル低下。年齢も考慮しこのまま家で見守るか病院へ搬送するかの説明を妻に説明している時に呼吸停止。心マッサージ・人口呼吸で一命を取り留められ、念の為、提携病院へ救急搬送検査入院、2週間で退院され在宅生活を再開されました。

このご夫婦にはどんな状況であっても持ちつ持たれつの夫婦の姿の素晴らしさを学び、私の夫婦感にも大きく考えさせるものを得させてくれました。Tさんはその後、約1年の療養生活を送られ奥様に見守られながら在宅にて永眠されました。

約18年間の訪問看護生活の中で出会ってきた療養者は数百人、エピソードも出会った数だけあります。その療養者すべての人生がドラマであり私に人生観を考えさせる場や学び育む場を与えてくれ、私を成長させてくれたものだと今振り返り改めて実感しています。

人は自分らしさを大切にし、自分らしい生活を望んでいます。それは健常者も障害者も同じだと私は常日頃感じています。人は一人では生活することができず、どんな形であれ、共に支え合って生活していくことが必要です。私が看護師として看護を提供し、ここまで訪問看護を続けてこられたのは、それぞれの療養者に人生のエッセンスをもらい続けることができたおかげだと本当に療養者の方々には感謝の思いで一杯です。
特に何もわからない看護学生の私に人生のアドバイスをくださった幸さん。幸さんは今では自分に天職を与えてくださった神様です。幸さんがくれた「おうちに来てくれる看護師さん」の意味。その人がその人らしく生きていく援助をして欲しいということだったに間違いないと確信し、これからも訪問看護を続けて行きたいと思っています。

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