優秀賞
第2回 看護・介護エピソードコンテスト『今も心に誓った介護』 大澤 憲夫さん

私が初めて認知症(当時は、「痴呆症」と呼称されていました)の方と出会ったのは、34年前、青森の津軽地方にある特別養護老人ホームに勤務した時です。

正直、「認知症」という言葉は知識として持ち合わせていましたが、実際、その状態を目の当たりにしたのは、この時が初めてでした。しかし、実際に認知症の人を知るというエピソードがスタートしたのは、勤務して一通りの仕事ができるようになった6ヶ月後でした。私は女性4人の1室を任されることになりました。その部屋は特別室でした。どうして特別室なのかは、認知症状が重い人の部屋だからです。ベッドは転落の恐れがあるため撤去され、床は畳敷きで、失禁や便弄りで汚れないようにビニール製の茣蓙で覆っていました。また部屋の壁は誤って頭を打たないように、クッション入りの特殊加工されたものが腰の高さまで施工されており、衣類用ロッカーとトイレ以外は何もない部屋でした。

その特別室で生活していた人たちは認知症状も様々で、性格も個性的で、特に皆が揃って機嫌の良い時などは通じない会話で盛り上がることも多々ありました。

今、振り返ってみると経験の全く乏しかった私は、彼女たちを人生豊かな高齢者としてみていなかったように思います。日々のルーチン化された業務に追われ、認知症という得体の知れない暗闇の中で、彼女たちは喘ぎ苦しむこともあっただろうに、そんな思いに気が付かず、「認知症=何も分からない人」という既成概念に囚われて介護をしていたのかもしれません。しかし、ある出来事がきっかけで、私の心の呪縛は解かれ、彼女たちへの思いが180度変わったのです。それは今でも鮮明に私の脳裏に刻まれています。

たった一つのリンゴが、認知症の人は何も分からないという誤った考えを正してくれました。どこから手に入れたのか、4人の中で一番穏やかなNさんが、一つのリンゴを大事そうに懐に入れていたのです。ところが、そのリンゴを奪おうと、いつも不機嫌なOさんがNさんの懐に手を入れようとしたのです。「パシ!」とNさんの手がOさんの頬を平手打ちしました。いつもはNさんが素直に相手の欲しいものを渡して一件落着なのですが、その攻防は、なかなか静まりませんでした。いつになくNさんが顔を紅潮されて激怒していたこともあり、私はいつもと違う彼女たちの雰囲気を察知して、二人の間に止めに入りました。その時です。争いの元となった、そのリンゴをNさんは私に差し出したのです。一瞬、私は驚きましたが、すぐに火種のリンゴを私に預けることで、Nさんは難を逃れようとしたんだなと思いました。でも、本当は違ったのです。Nさんの私に向けた言葉で、私の頭の中は真っ白になりました。

「わのリンゴ、ふとつだばて世話っこさなってる、なさけるはんで受げどってけろ(わたしのひとつしかないリンゴだけれど、私の面倒をみてくれているあなたにあげたいので受け取ってください)」その津軽弁は、「認知症の人は何もわからない」ということを否定するものでした。Nさんは、しっかり感じている。分かっているのだと確信した瞬間でした。私は、その時から彼女たちの代弁者になろうと決心したのです。

認知症当事者の思いが後回しにされていた、あの時代から、数十年の年月を超えて、ようやく当事者の声に耳を傾ける社会になってきました。その思いを心に誓いながら、私の経験と知識を伝え、介護とは、どういうものかを考えられる人を育てていきたいと思っています。

あれから34年、彼女たちの心の声が私の心の支えとなり、今でもその思いは変わらず続いています。

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