優秀賞
第4回 看護・介護エピソードコンテスト『「帰りたい場所」へのお手伝い』 岩田 舞祐さん

1年半前、私は病院の退院調整室で看護師として勤めることになった。骨折後のリハビリをして自宅に帰る患者さんもいれば、介護が必要となったため家には帰れず、施設に退院する患者さんもいた。形は違っても「退院」していく患者さんがいることに、私は満足していたのかもしれない。

そんなある日、

「家に帰りたい...」

か細い声が静まり返った病室に響いた。何と声をかけていいのか迷った私は酸素マスクをつけている患者さんに思わず「苦しいの?」と聞いた。

「帰りたい。家に...帰らせて...」

確かにそう言う患者さんの目は、か細い声とは裏腹に力強く私の心に訴えていた。

治療を終えて、帰れるようになった患者さんが帰るのはある意味当たり前のことで、それは退院調整室の私の仕事ではない。患者さんが帰りたい場所に帰れるように調整することこそ、真の役割だと気付いた。

しかし、この患者さんは同年代で高齢の夫と二人暮らし、子供はいない。それに、ガンの末期で酸素や点滴の治療に加え、オムツ交換や清拭などの身体介護も必要だった。「帰れるわけない…」そんな弱い気持ちが私の中にあった。でも、そう諦めようとすると、あの時の患者さんの目が頭をよぎり、気づくと私は電話の受話器を握っていた。

何回もコールが続く中、患者さんの夫にどう話を切り出そうかとドキドキしていた。留守番電話にならないだろうか。どこかでそう願っていた自分が情けなく感じた。

夫は電話に出た。そして、私は夫に、

「ご主人、奥さんと一緒にお家に帰りませんか?」

そう伝えた。

「あいつを帰してやってもいいんでしょうか?」

そう言葉を返す夫の声は震えていた。何としても自宅に退院させてあげたいと思い、私は訪問診療、訪問看護に連絡をした。そこから話は急ピッチで進んだ。「家に帰ってもあの夫に介護なんてできないだろ」と退院を反対する医師にも、自宅で受けられるサービスを懇々と説明し、半ば強制的に納得させた。

退院前日には、各サービス担当者と夫が病院に集まりカンファレンスをした。高齢の夫との生活に戻ることを考え、退院後は点滴は行わないことになった。それはある意味、死にに帰るようなもの。それでも夫は「十分です。十分です。やっと24時間、側にいてやれるんですから」と嬉しそうに話した。

退院当日、介護タクシーのスタッフが手際よく患者さんをストレッチャーに移してエレベーターに向かった。エレベーターに乗り込む瞬間、「退院おめでとう」と患者さんに声をかけた。すると、細い腕を伸ばして患者さんは私の腕を弱い力で掴み、

「…あり、がとね…」

と精一杯の笑顔を見せてくれた。

それから5日経ち、患者さんが息を引き取ったと連絡があった。その連絡を受け、私の判断は正しかったのだろうか、病院にいたら1日でも長く生きられたかもしれないと心がざわついた。しかし、数日後、患者さんの夫が病院にあいさつに来た。

「久しぶりでした。あいつの嬉しそうな顔を見たのは。5日も幸せな時間を過ごせました」

その言葉を聞いて、私は涙が止まらなかった。

患者さんや家族にとっての幸せは、私たちが決められるものではない。あの日以来、私は患者さんが望む場所に帰れるよう、患者さんのための退院調整をしている。あの日のように、退院する患者さんの素敵な笑顔をやりがいにして。

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