選考委員特別賞
第4回 看護・介護エピソードコンテスト『最期の宇宙飛行』 林 侑太朗さん

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『ほんとうにねぇ、初恋の人を待つような気持ちだったんですよぉ』
私が迎えに行くと、彼女はいつもそう言った。
『朝からずっと一日中ねぇ、今か今かと先生を待ってたの』
彼女はそう言って、いつも酸素マスクの中で笑っていた。

●       ●

カンファレンスが終わる頃には、いつも十九時半を過ぎている。
病棟の消灯時間は二十一時。
準備の時間を考えると、着替えている余裕はない。
オペ着の上に白衣を羽織って、私は足早に階段を登る。
彼女の病室は、外科病棟の一番奥であった。
先に声をかけたいところだが、ぬか喜びさせてはいけない。
先にナースステーションに寄り、彼女のカルテを見る。
食事は三割摂取。でもバイタルサインは悪くなっていない。
今日は、まだ、きっと大丈夫。
そうなれば急いで彼女の部屋を訪ね、声をかける。
私の言葉を聞いて、彼女は嬉しそうに顔に皺を寄せた。

『わあ、本当。嬉しいわぁ、先生』

拍手もしてみせるが、音はならない。
彼女の手はもう骨に薄皮を残すだけで、隙間だらけなのだ。

『本当にね、とっても楽しみにしてたのよぉ』

しかし私は愛想笑いもそこそこに身を翻し、機材室へと向かう。
薄暗い機材室の片隅で、無表情に並んでいる酸素ボンベ。私はそのメーターを見比べ一番残量が多い物を選ぶと、腰に力を入れて引き抜く。その黒いボンベは、見た目よりずっとずっと重いのだ。片手では持ち上げることすら難しい。
しかし私がそれを知ったのは、彼女を担当するようになってからだった。
ボンベ専用の台車に選んだ差し込むと、ゴロゴロ引いて彼女の病室へと駆け戻る。
部屋に戻ってみると、彼女はまだ上着を羽織り終わっていなかった。

『どの上着にしようか迷っちゃってねぇ』

気が急いている私は彼女が羽織るのを手伝い、ついでにバイタルモニターのコードを解きほぐす。すると胸から延びるコードをつまんで、彼女が言った。

『今だけこれはずしたいわぁ、先生』

迷った末、三点心電図のコードは外すことにした。
不整脈を起こす可能性は、たぶん低いから。
でも血中酸素を測るための、指に付けたSpO2モニターは絶対に外せない。
そう告げたところで、彼女は落ち込むそぶりは見せない。

『胸のが取れるだけでも、嬉しいわぁ』

念のために彼女のマスクをリザーバー付きに変える。大きなビニール袋が口の前についている分、酸素濃度が上がりやすいマスクだ。それに緊急時用のバックバルブ付手押しマスクも一応用意して袋に入れる。
そして彼女用の車いすに、持ってきた重い酸素ボンベを設置した。
彼女の緑色の車いすは自前のもので、大きな背もたれとクッションが付いたとても立派な物であった。しかしながら私が担当となって以来、彼女がその車いすを使っているのを見たことがなかった。
点滴台に点滴をかけなおして、ようやく準備は完了する。
私では上手く移乗させられないので、ナースステーションに声をかける。
私がしようとしていることを知ると、看護師さん達は快く手を貸してくれた。
三人がかりでベッドから持ち上げ、彼女は車いすに小さくおさまった。
私が車いすを押そうとしたところで、看護師さんから声が掛かる。
五月の夜はまだ冷えるのでと言って、バスタオルをかけてくれた。

『本当にありがとうねぇ』

そして私と彼女は看護師さんに見送られて、エレベーターホールへ向かった。

●       ●

研修医になって知ったのは、死期の残酷さだった。
あるいは死そのものよりも、私は死期が恐ろしかった。
死期が迫った時、人は誤魔化せなくなるからだ。

孤独や貧困などの、人生における不遇。
若さや健康があった時は誤魔化せていたそれが、もう誤魔化せなくなる。
無頼に生きてきた人間は、文字通りに頼るものが無く。
清貧で良しとしたはずの人間は、本当に貧して窮する。
温かい家族に囲まれて、穏やかな最期を迎える。
私が想像していたそれは、しかし一部の人間の特権であった。
そこまでの人生で『プラス』を蓄えた、ごく一部の幸運な人間だけ。
日本というこの貧しくなり行く国に、もうあまり余裕はないのだと知った。
おそらく皆、自分が生きていくのに精一杯なのだろうと思う。
だから未来の可能性を失った人間に、もう周囲は容赦しない。
死期が迫る人間の手元にあるのは、ただ過去のみ。
そこまでの人生で何をなしてきたのか、あるいは何を捨ててきたのか。
その総決算のような残酷な期間が、死の手前には横たわっている。
その残酷さを思うとき、私の高校のクラスメイトの言葉を思い出す。

自由に生きて、老いる前に死んでやると彼は言った。

私はその言葉を短慮と決めつけ無下に否定する気にはなれない。
だが彼のクラスメイトはもう知ったのだろうかと思う。
老いや病による不自由とは、ある日突然に訪れる物ではないと。
薄皮一枚剥がすように、少しずつ少しずつ。
数日前まで出来たことが、出来なくなっているのだ。

では彼のクラスメイトは、いったいいつの日を老境と定めるのだろうと思う。

●       ●

私が担当となった時、彼女はもう全ての薄皮を剥がされ終わっていた。
外科研修で、私が初めて受け持った患者だった。
歳は六十代後半。
病棟の末期患者の中では、まず若い方に入る。
病名は肺癌。両肺に数えきれないほどの多発転移。
すでに常時酸素マスクを着用し、二十四時間ベッド上で過ごしていた。
カルテの記載では、親戚は歳の離れた叔母が遠方に一人のみ。
キーパーソンは空欄。
見舞いが来ているのを見たことはない。
病状としても抗癌剤治療は断念され、痛みを取る緩和治療が中心だった。
右も左も分からない初期研修医の私は、彼女に何をして良いか分からなかった。
なので私は毎朝に彼女を訪ねると、形だけの診察の後で世間話をした。
幸いにして彼女は人が良かったので、話に困ることは無かった。
そんな中で、ある朝彼女は言ったのだった。

『そうねえ、外に出たいわねぇ』

何か要望はありますかという、私の問いに答えてのものだった。
私はすぐに快諾した。とても当然で、簡単な希望だと思えたからだ。
それに見舞い客もおらず、彼女がずっと一人なのも知っていた。
仕事が終わったら一緒に車いすで散歩をしましょう、と私は答えた。

『本当!? 本当に連れてってくれるの!?』

だが彼女の大げさな喜びように、むしろ私はギクリとした。彼女の反応を見て、自分が大それた約束をしてしまったように感じたからだ。
病室を出て慌てて指導医に会いに行くと、幸いにして彼は快く許可をくれた。
良いと思うよ。その患者さんはきっとその外出をずっと覚えていてくれるから。だから散歩に連れて行ってあげなさい。
そんな優しい言葉をかけてくれた。
許可の言葉を貰い、私はほっとする。
これで彼女の喜びを無にしなくて済むと思ったからだ。
しかし今にして思うに、指導医のその言葉は患者である彼女ではなく、私のためを思っての言葉であったのではないだろうか。 
彼女と外出する私が、いったい何を思うか。
それをきっと指導医の彼は知っていたのだと思う。

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