大賞
第1回 看護・介護エピソードコンテスト『幸せな時間』 岡澤 ひとみさん

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彼女は、富士のふもとに眠る。あれから何度目の冬を迎えたであろうか。ビートルズのイマジンという曲を好み凛としながらも自分の気持ちに正直に生き抜いた一人の女性がいた。母親として、妻として、役割を貫いた彼女の笑顔が蘇る。

出会いは、人気のない診療所の待合室であった。がんセンターから紹介されて見学に来たと言い、イラン人の 旦那様と二人不安げな表情をなされていた。

往診を希望され、ギリギリまでの在宅を望み、動けなくなったら最後は入院したいと強い意思を持って、余命告知を受容し自分の生きざまを自己決定した彼女が微笑む。その横で、片言の日本語を話す旦那様が今にも泣きだしそうな表情で見つめる姿が印象的に残っている。

往診するには、いくつかの問題があった。自宅までの距離の遠さと、緊急対応してくれる訪問ステーションが少ない。迷う私達に、彼女から往診は少なくていいし、できる限り子どもの世話ができればいい。家族とすこしでも長く過ごしたいから、協力してほしいと願いでた。彼女の目から一粒の涙がこぼれた。

彼女の子どもは、2歳になる女の子と、小学3年生になる男の子。まだまだ母親に甘えたい時期にあり母親の 役割も大きい。「子ども達に毎日お弁当を作ってあげたい」 「下の子の七五三の写真を一緒に撮りたい」 「勉強を見てあげたい」 病気を持ちながら当たり前の母親としての気持ちを話してくれた。

彼女の意思は強く、私達の迷いはなくなった。早々に在宅調整し往診が開始となった。彼女の疾患は卵巣がん末期。余命3カ月で経口摂取が難しく中心静脈栄養をしていた。腹水も著明で疼痛コントロールが必要な時期にあった。髪の毛は、抗がん剤の副作用で抜けおちバンダナを巻いている。でも、彼女は前向きに受け止めていた。
いつも笑顔であった。なぜにそんなに凛としていられるのか不思議なくらいであったが、今思い返すと母親という役割が彼女の意思を支えていたのかもしれない。

「子ども達に沢山の思い出を残してあげたいけど、どうしたらいいの?」彼女から常に問われる質問。
「普段通り、特別なことはしなくていい。F さんがやりたいと思うことを私達はお手伝いするだけですよ」と答える。
宗教の関係で、学校の給食が食べられない息子の為に、毎日お弁当を作り、下の子と沢山遊ぶ。トイレットトレーニングもする。彼女の日常は、子ども達中心の生活が主となり、いずれ自分が旅立つ日を踏まえて夫に家事や日本の文化を教えていく。失敗もあるけど笑い声が絶えない毎日であった。

ある日の朝、痛みが強くてどうにもならないとコールがあった。早急にかけつけるとお腹が痛いと、うずくまる彼女がいた。医師の指示のもと疼痛緩和の為の点滴をする。しだいに痛みが緩和されてくると「調子が良くなったから、今日ね。下の子の七五三の写真を撮りたい」
時間が限られている彼女の申し出は、いつも突然で対応に困ることもあったが、同じ母親としての気持ちが私を動かしたであろう。
早々に、写真店に電話をして、訳を伝え調整する。在宅酸素も使用していたので携帯酸素ボンベの手配をし、彼女の友達にも協力の依頼をした。
彼女の洋服を共に選び、万全な体制で外出できるように無我夢中で調整をして送り出した。この時、彼女から一緒についてきてくれないかと申し出があったが、あえて申し出は断った。
彼女の体調に不安はあったが、ここからは家族だけの時間。普段通りに過ごし沢山の思い出を自ら作って欲しいと伝えた。彼女は笑顔でうなずくと「今を楽しんでくる」と言って出かけていった。

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