優秀賞
第1回 看護・介護エピソードコンテスト『私に気づかせてくれた訪問看護』 鈴木 ひとみさん

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酸素を吸入する為の鼻の管は途中から接続が外れており、いつから指示された量の酸素を吸っていなかったかも分からない。食事は昨日摂っていたと奥様は話すが、量も分からない。きれいになってきていた身体も動けなくなっていたことから汚染したままである。
これはこのまま放っておいたら危険だ。と奥様に今のIさんの状態が危険であることを説明した。
「この人はね、まだ死んでは困るの。もちろん助けてほしいわね。」と、奥様は言った。
癌も無治療のままであり、金銭面でも余裕はない。でも確かに、家庭環境を考えると、奥様にとってはIさんが必要なんだと思った。救急車を呼び、その間に往診先にも報告する。順番は違うが状態の悪化により搬送することを伝えた。往診先も事態は理解してくれており親切に対応してくれた。電話での親切な対応に私自身も間違っていないだと安心した。Iさんはそのまま入院となった。

私は急に行かなくなったIさんのお宅の近くを通るたびに、どうしているかなぁと気になった。でも、そこは自分の勝手な気持ちだけでは入っていけない領域なんだと考え、あえて気にしないようにした。奥様を駅で見かける事もあった。それでも声がかけづらく感じた。

その後、数ヶ月たち、在宅での療養は難しいとの事で、転院方向である事を聞いた。そうなると今後の訪問看護はもう二度と必要なくなったということになる。あんなに信頼関係が出来てきたのに、あっさりと何もなかったかのようになるんだなと少しさみしい気持ちにもなった。

それからしばらくして、呼吸状態が悪化してご逝去されたこともケアマネジャーから連絡があり知った。救急搬送したあの日が、Iさんとのお別れになった。最後は私だと気付かなかったんだな。依存してはいけないなんてかっこいいこと考えてたけど、私がIさんに支えてもらっていたんだな。と、心から思った。その後、しばらくしてから、奥様がIさんの入院中に私の事を「あの子は本当に良くしてくれたんだよ。いい子だよ。」と言っていたと聞いた。Iさんも私が来ることを心待ちにしていてくれたことを聞いた。

いなくなってしまったIさんに、「私の方こそありがとうございました。Iさんのおかげで訪問看護ってこんなにいいものなんだと思えたよ。待っててくれてありがとう。私は子供からしか必要とされていないと思っていたけど、Iさんが待っててくれたこと、嬉しかったよ。Iさんのおかげで、頑張るきっかけや新しい人との出会いもあったよ。私の評価は何点だったか聞けなかったけど、これからも頑張るね!」と、心で話しかけた。
Iさんは、初めて一人で色々な判断をしなければいけない訪問看護として新人の私にすべて預けて任せてくれたんだ。私に、看護師になって改めてよかったと、随分忘れてたことを思い出させてくれたんだと思う。
訪問看護師は自宅にお邪魔して、限られた少ない物の中で考え、代用し、病院では考えられないような方法で療養生活をしていく事ばかりである。それでもやはり自宅で過ごす顔は、家にいる安心感や気兼ねの無い雰囲気がある。私たちを出迎える喜びもあり、私たちもそれを感じ、嬉しくなる。もっと良くしていこうと思える。そうやって信頼関係が生まれていって、他人じゃなくなる。
私は訪問看護師になってから、まだまだ日が浅い。でも、今回のような思いを仕事を始めてすぐに経験できたことを本当に幸せに思う。

今後も同じような経験をしていく事が何度もあり、そのたびIさんがくれた出会いや時間を思い出すだろう。この気持ちは私が新人だった頃に出会ったSさんを思い出させるほどであった。私はSさんが「あなたの笑顔のおかげで元気になれる。本当に嬉しかった。」と言っていたことをSさんのご家族から、Sさんが亡くなった後にお礼を言われたことがあった。新人で全く仕事が覚えられなくて看護師になったことが嫌でたまらなかった時に言われた言葉であった。ここから、私の元気や大きな声が、薬や治療とは別で患者の心や気持ちを楽にし、元気になるような役立つことがあるんだと、看護師としての誇りがやっと持てたのだった。あれから随分長い時間が経ったが、この年になってもまだ、こんなにキラキラした気持ちになったり、大事な物に気づかせてくれる事はなかなかない。これからも必ず必要とされる仕事であり、私はきっと看護師をやめないだろう。これこそ子供に誇れ、自分も考えながら成長できると思える職業である。

それをこれからも忘れないで、接していけるようにしたい。

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