大賞
第11回 看護・介護エピソードコンテスト『からすといっしょに かえりましょ』
藤本 直美さん

夏の夕方、築五十年の五階建て集合住宅団地がドミノのように並ぶ。その中にある小さな公園で、ブランコに乗っている二人を塗装のはげかけたパンダが見ていた。私の隣でブランコを漕いでいるマーちゃんは、しわくちゃな笑顔で声を出して笑っていた。

私がマーちゃんのところに訪問するようになって一年半ほど経ち、今日で終了となる。あと一分経ったら一緒に帰ろう。今、遊んでいるマサさんはたぶん五、六歳だ。

「問題行動を起こす八十過ぎの母親の介護を家族が放棄している」近所の人が、民生委員に相談をして訪問介護に繋がった。店から商品を盗む、公園で糞尿をする、子供達を見つけて追いかけ回す。

そんなマサさんは認知症だった。

初めてマサさんと会った時は冬だったが、夏服を重ね着していた。イワシの缶詰と汚れた湯飲みをお盆に載せて「こんな物しかないけど、どうぞ。」と、もてなしてくれた。
「先生が家庭訪問に来たと思っているみたいです。」一緒にいた息子さんが言った。

息子さんは、一人で母親の世話をしていた。失禁した下着や汚れた服を洗い、季節に合った服を出してあげていた。朝昼夜のご飯と、おやつの菓子パンを用意して、玄関に鍵をかけて仕事に出かけて行った。

でもマサさんは、季節気温に関係なく、着たいものに着替えた。

団地の一階に住んでいたマサさんは、ベランダを乗り越えて外に出て行った。ご飯を一度に食べてしまい、まだ満腹でないと近くの店から菓子などを盗って食べた。自分の家に戻れず、迷子になる事もあった。別棟の違う家の玄関の扉を叩き「開けてー」と叫んで泣いて保護されていた。

近隣に迷惑をかけるマサさんは問題だったが、息子さんはよくやっていた。認知症の母親を家に閉じ込め、何もしない息子と近所の人には見えたのだろうか。介護放棄ではなかった。

他人が見ている他の家の様子は、ほんの一面だ。みんな、自分の知っている生活が常識で、そこからはみ出しての想像は難しい。

息子さんは介護保険をよく知らなかった。介護広告のイメージからなのか、寝たきりや車いす利用の人だけが介護保険の対象だと思い込んでいた。よく食べ、よく動く元気な母親は対象にならないと、初めから頭になかったという。

やっと介護保険に繋がり認定を受けて、朝夕二回のヘルパー訪問が始まった。いろいろ忘れてしまうマサさんに、訪問時は毎回はじめましての挨拶とお互いに自己紹介をした。今朝はたぶん六十歳代のマサさん、夕方はたぶん三十歳代のマサさん、と毎回違う年代のマサさんがいた。

認知症の症状は進んでいく。訪問時に眠っていることや家にいないことがあった。ピンポーンと何度鳴らしても反応がなく鍵がかかっている時は、預かっていた鍵で入室した。布団に寝ておらず、ベランダ側の窓が開いている時は事務所に連絡をしてから団地の中を探しに走る。マサさんを見つけて家に連れて帰り、身なりを整えて食事をしてもらう。

一年半、訪問介護を利用して在宅で過ごし、入所が決まった。

ヘルパー訪問が最後の日の夕方、マサさんは家にいなかった。
「マサさーん、マサさーん」と呼びながら、お店、第一公園、第三公園、団地の中をいつものルートで探して走った。そしてブランコ二つと古いパンダの乗り物が置かれた小さな公園で、ぼーっと立っているマサさんを見つけた。
「マサさん。探しましたよ、帰りましょう。」話しかけても返事をしてくれない。マサさんの正面にまわり、膝を折ってしゃがみ顔をのぞき込む。何か迷っているように見えた。
「マーちゃん。ブランコに乗ろうか?」話しかけてみた。マサさんは笑顔になり、
「うん!」と答えてくれた。マーちゃんは、マサさんが小さな頃の呼び名だ。

ブランコに乗ったマサさんの背中を押す。遠くに離れていき、近くに来たらまた押す。背中を押される度に、マサさんは声を立てて笑った。
「おばちゃんも乗んな。」左隣のブランコを指さした。私はいつでもマサさんのブランコを止められるように、横座りをしながらゆっくり漕ぐ。

訪問介護は時間が決まっている。もう帰らないと、マサさんに着替えてもらい、ご飯を食べる時間が無くなる。そっと声をかけてみた。
「ねえ、マーちゃん。暗くなるからもう帰ろうか?」
「うん」

マサさんは上手にブランコを止めると、私に手を差し出した。繋いだ手を大きく振り、一緒に歌いながら帰った。

家に帰り、食事を済ませたマサさんに退室の挨拶をした。訪問終了となるので明日からはここには来ない。
「お元気で。」
「ご苦労様。また、いらしてね。」

手を振って別れた時のマサさんは何歳だったのだろう。たぶん私の事は忘れるし、施設から家に戻ってこないだろう。

私が介護の仕事を始めた二十五年前、認知症は痴呆症といっていた。記憶が混濁し剥がれ落ち、全てを忘れていく病気で、辛く苦しく本人も周りも地獄だと言った人もいた。

マサさんの息子さんは、自宅での介護は大変だと言ったが、母親の事を嫌だと言うのを聞かなかった。
「嫌だったことを忘れてしまったみたいで、おふくろが本当に楽しそうなんですよ。」

戦時中の空爆で家族を亡くし、物を盗んで空腹を満たした子供の頃、若くして夫を失ったこと。そんな記憶がほとんど無くなり、マサさんの中には楽しかった思い出がいっぱいになっていた。マサさんは時々、子供に返った。外で子供を見つけると、一緒に遊びたくて付いてまわった。幼い頃に野原で遊び、隠れて大小便をした記憶が戻り公園でしてしまったこともあった。

マサさんは、思い出したくないことを忘れ、息子さんはそんな母親を認めていた。大変だったはずのマサさんへの訪問がほっとした時間だったのは、この親子の関係が好きだったからなのだろう。認知症を「救い、幸せ」と受け取ることもできるのだと、マサさん親子に気付かせてもらった。