優秀賞
第11回 看護・介護エピソードコンテスト『存在理由』
松田 正弘さん

4年前、母が92歳になった年の12月、かねてより考えていた母との二人暮らしを実行に移した。

それまで母は、僕が家族と暮らす家の近くのアパートで15年間ほど一人暮らしをしていた。特に大きな病気もなく元気にしていたのだが、90歳を超えた頃から明らかに足腰が弱ってきていた。家の中や買い物の途中に転んだという話をよく聞くようになった。妻のお母さんは車椅子生活で、我が家で介護していたから母を呼ぶわけにはいかない。
「店の近くで、オカンの人生の最後を一緒に暮らしてやりたい」

思いきって妻に話すと、快く賛成してくれた。そして4年前、母が暮らしたアパートを引き払い、店の3軒となりのマンションでふたり暮らしを始めたのだった。

母が33歳のある日、4歳年上の父が突然心筋梗塞で逝った。朝、元気に会社へ出かけたのに夕方にはもうこの世から消えた。以来60年間、幼い僕と姉を育て上げ、働いて働いて働き抜いて一人で生きてきた。そして12年前には姉が58歳で癌にやられて天国へ。最愛の娘まで失った母をこのまま最後まで一人にさせておけない。元気なうちに息子と二人で生活させてやりたい。そしてそれを実行した。

ふたり暮らしを始めて1年半ほどは穏やかな日々が過ぎた。僕が仕事へ出かけると母は毎日掃除をし、洗濯機を回してベランダに干し、僕の晩ごはんを作る。夜中に帰るとテーブルの上に食事とメッセージが置いてある。これとこれはチンしてだとか、テレビで観た初めての料理に挑戦したが失敗作でごめんなさいだとか、お漬け物に醤油をかけすぎないようにとかだ。そんな平和な毎日だった。

ところが2年前の初春、突然母の脚が動かなくなった。ベッドから起き上がれない。救急車を呼び病院へ。いろんな検査の結果、脊柱管狭窄症と背骨の圧迫骨折が3ヶ所見つかった。すぐにリハビリも兼ねた入院。昨日までふたりだったマンションは突然一人の空間になった。店で食事を済ませ、生まれて初めて洗濯機を回した。

2ヶ月ほどのリハビリ入院を終えて帰って来た母はずいぶん動けるようにはなっていたけれど、もう以前のようには歩けない。ケアマネージャーさんと話し合い、手すりを6本、屋内用と屋外用のシルバーカートを1台づつ、介護ベッドなどをレンタルし、ベッドの横にポータブルトイレを置いた。

こんな風に僕の介護生活はスタートを切った。

朝は2時間早く起きるようにした。まずポータブルトイレの排泄物をトイレに流しきれいな水を張って消臭液を入れる。今日一日分の朝、昼、晩、寝る前の薬を準備する。お茶を沸かし父と姉の仏壇に供え蝋燭と線香に火を点ける。それが終わると洗濯機を回し、洗っている間に母の肩と腰と脚をマッサージする。目覚めた時にはほとんど動けない母ではあるが、僕が仕事へ出かけたあとからベッドの上で少しづつ体を動かす。そして午後になるとキッチンまで行き、長い長い時間をかけて僕の晩ごはんを作るのだった。木曜日と日曜日には母をお風呂へ入れた。

はっきりと分かったことは、何かしら自分が役に立っている、必要とされているという感覚を与えてやることの重要性だ。思うように動けないから以前のように掃除や洗濯が出来ない。仕事をする僕のサポートどころか自分が負担をかけるだけの存在になっていることが悲しくて悔しくて情けない。ポータブルトイレを流すたび、マッサージをするたび、洗濯物を干すたびに「ごめんな」って言う。
「オカン、ごめんなはやめて。だんだん出来ることが減っていくのは当たり前や」
「そやかてマーちゃんに迷惑かけてるだけや。死んだ方がマーちゃんも楽になるのに」
「オカン死んでしもたら俺は毎日インスタントラーメンになるがな。晩ごはん何やろ、って毎日帰ってくるの楽しみやのに」

台所の椅子に座り調理をし、作った料理をテーブルに並べ、ラップをかけてメッセージを添える。晩ごはんを楽しみに夜中に帰ってくる僕のために。いつしかそれが彼女のレゾンデートル=存在理由になっていた。自分の料理を心待ちにしている人がいる。自分が必要とされている。自分の作ったものが息子に歓びを与えている。負担をかけているだけの存在じゃない。そんな思いが母に生きる意味や活力を与えているのは明白だった。行動に対して物理的な手助けをすることだけが介護じゃない。「毎朝目が覚めたら、いの一番に今日はマーちゃんの晩ごはん何作ろって考えてるねん。イヤになるわ」と言いながらうれしそうに笑う母を見て、毎日を前向きに過ごせるよう、母が自身の存在意義を実感できるようにアプローチしてやることも、とても重要な介護のひとつだという確信に近い思いがある。

ラップをし、テーブルに並べた料理とメッセージを確認して、ささやかな充実感と共に自分のベッドへ横たわる母の姿が目に浮かぶ。

今年2月、母は風邪をこじらせ肺炎になり、あっという間に父と姉のもとへと旅立った。

レンタルの介護ベッドを引き揚げてもらうとベッドの下から赤い手帳が出てきた。パラパラとめくると日記のような短い文章が綴られている。このマンションへ引っ越してきた日から始まっているそれは、その日の覚え書きのような内容が記されていた。「新しい生活が始まる。今日は私の人生最良の日。マーちゃんに感謝。迷惑かけないようにしっかりしなくては」「マーちゃんと二人でお正月を迎えるなんてウソみたい」「窓から東山が見えて気持ちいい。朝起きると部屋に朝日が入ってるなんてはじめて」「今日はちょっとしんどかったけどトイレをきれいにした」「マーボーとうふ、うまくできた」「マーちゃんがイチゴを買ってきてくれた。佳代子に供えて、今が人生でいちばん幸せだと報告」…。

母の部屋でひとり、15分ほど泣いた。