第11回 看護・介護エピソードコンテスト『食べるけどそれがなに?~苦しみは人によると知ったこと~』
宮澤 あゆみさん
宮澤 あゆみさん
看護師1年目で出会った気管切開をしている四肢麻痺がある佐藤さん。意思の疎通は取れるが体幹が崩れやすく、車いすに座ることも難しかった。
佐藤さんをはじめて目撃した日は忘れられない。なぜなら、気切チューブから米粒が出ていたのだから。
「本人と家族とも話し合ったんだけどね」
先輩が点滴を準備しながら佐藤さんの現状を教えてくれた。
「食事を口からとるのも限界です、ってドクターから家族に説明したのよ、そしたら食事中に天に召されても構わないから食事を続けさせてほしいって息子さんから言われてね」
「母はごはんが大好きなんで!」
何度説明しても受け入れてもらえなかったようだ。
ご家族が佐藤さんの意思を尊重したいのは理解できる。だが、差し入れでパンやシュークリーム、いなり寿司を置いていかれた日の悲しみたるや……。その日の担当だった私は思わず天を仰いでしまった。
「どれも喉つまりランキング上位の食べ物じゃん……」
私は佐藤さんに差し上げる勇気が出ず見えないフリをしていたけど、彼女は冷蔵庫を指差し、
「早く!」
と口パクで訴える。
「パンは喉詰まっちゃいますよ」
「いいから!」
根負けしたけど私にも意地があった。できる限りパンを細かくすると口パクで激怒された。理由は見た目が悪いから。それでも美味しかったのだろう。その日はこちらが焦るほど佐藤さんは食べ続けていた。
佐藤さんは口パクと眼圧だけで見事に感情を伝えていた。
「痛い!」「あんたきらい!」「あっちいけ!」
新人看護師もとりあえず嫌い。私も
「あんたじゃ話にならない」
と何度となくケアを拒否された。彼女は遠慮しないタイプなのだ。
そんなある日、佐藤さんが誤嚥性肺炎になった。食事は中止。だが、
「おなかすいた」
ケアに訪れるたびに佐藤さんが怒りに満ちた表情で訴えてくる。
「今は点滴して治療を優先しないと、息もしにくくなっちゃいますよ」
正論なぞ意味を持たず、佐藤さんはおなかすいたと言い続けた。
食事のたびに激しくむせこみ、苦しそうに顔を歪ませる佐藤さんが脳裏に浮かんだ。1日に3回も生命が危険にさらされるのは怖いし辛いのではないか。心の中で思っていたつもりが口をついて出ていた。
「あんなに苦しそうでも、食べたいですか」
怒られそうだと思った。だが佐藤さんは
「何を言ってるの?」
と言っている様子だった。こちらもとまどって、
「辛いのは嫌じゃないですか」
それでもキョトンとされていた。その表情に思いついたことを一つ聞いてみた。
「もしかしておなかが空いたから食べるってこと?肺炎になっても?」
と聞いたら、彼女はうなずいた。
なんてことだ。
是が非でも食べなければならない理由があるのだろうと勝手に思っていたが、理由はなかった。
おなかが空いたから食べる。肺炎?知ったことではない。佐藤さんの生き様を見せつけられた新人の私は「なんも言えねぇ」状態になった。
佐藤さんとのやりとりを先輩に話すと大笑いされ、
「よく聞いたねぇ!生きてるんだから食べるよね!それなら佐藤さんの意思を尊重しないと」
先輩はドクターに報告し、リハビリスタッフも巻き込み会議を開いた。
「できるだけ長く食事ができるようにするにはどうしたらいいでしょうね」
佐藤さんの食事に対する考え方はスタッフの中でも分かれていた。
「自分が食事介助をしているときに詰まったらどうしよう」
と恐怖を感じている人もいるし、忙しい業務で自己流に走る人もいた。
以前から食事中の姿勢について言語聴覚士からアドバイスを受けていたが、何度も講習を行い全スタッフが共通認識を持てるようにした。ベテラン看護師の秘密のコツも共有され、新人の私も自信を持って食事介助ができるようになった。
それでも佐藤さんの弱った身体にとって、食事が大きなリスクであることは変わりない。雪が降りそうな朝、彼女の体力はガクッと落ちた。
「今日私が夜勤なんだけど……」
夕方に出勤した同期が沈鬱な表情をしながらカルテを凝視していた。
もしかしたら今日が最後になるかもしれない。日勤を終えた看護師がそれぞれ佐藤さんの病床に行きこれまでの苦労をねぎらった。
「最期に何を食べたかったですか」
私は佐藤さんに聞いたが、答えてはもらえなかった。
翌朝、夜勤を終えた同期からメールが来た。私はメールの内容を察し目頭が熱くなった。携帯を開くとそこにはたった一言。
「よみがえった」
「は?」
何度見てもその一行しかない。昨日あれだけ呼吸状態が悪化し、家族にも連絡するほど厳しい状態だった。はずなのに。
混乱しているともう一通メールが来て、
「先輩がフェニックス佐藤さんって言ってた(笑)ウケるよね」
次に続く文章を読んで、私の気管がヒュッと音を立てた。
「今日の夜勤、がんばってね」
今夜の夜勤は私だった。フェニックス佐藤さんは持ち直したとはいえ、まだ予断を許さない。新人にとって最大の恐怖だった。
しかしフェニックス佐藤さんは危機を乗り越え、最期を迎える直前まで食事をした。
嚥下機能が低下している患者さんに食事を許可するのは異端かもしれない。だが看取りを終えた家族に言われた一言は、
「最期まで母のわがままにつき合っていただき感謝しかありません」
こんな寄り添い方もあるのだ。患者さんは1人の人間であること、ニーズにできるだけ応えることを強烈に学んだ出来事だった。




