第11回 看護・介護エピソードコンテスト『焚き火をかこむ』
上林 誠さん
上林 誠さん
僕は認知症の方のグループホームで管理者をしている。近年は、新型コロナウィルスの感染防止のため、入居者さんとご家族の面会や交流が制限された。それは入居者さんにとって、心のより所を失うようなことだった。ようやく、この一年の間に、面会や外出の制限も徐々に緩和され、施設はもとのかたちを取り戻しつつある。
森さん、という女性の入居者さんがいた。森さんと施設で一緒に過ごしたのは、新型コロナウィルスの心配のない、今から6年ほど前のことだ。
蝉の声が聞こえ始めたある朝、施設の玄関で娘を迎えた森さんは、下駄箱の脇に置かれた椅子を指差して、「ヨッコちゃん、ここさ座れ」と言った。
「すぐに病院に行くんだから座ってる時間はないよ」と、少し困ったように娘の洋子さんが答えた。その前日、僕は森さんの右胸にしこりがあるので受診してほしいと洋子さんにお願いしていた。
「いいから、ほらヨッコちゃん」と自分もその椅子の端に腰掛けて、空いた座面に洋子さんを座らせようとする。森さんの勢いに押されて洋子さんは座った。二人とも小柄な女性だが、一つの椅子に二人で腰掛けるには無理がある。
「お母さん、ちょっと椅子が小さいみたい」
「そうか。こりゃだめだねえ」
森さんはゆっくりと立ち上がり、洋子さんと手をつないで病院に出掛けて行った。
90歳になる森さんと60代後半の洋子さん。認知症があるので、森さんは自分の年齢が分からなくなる。そのために娘を前にすると自然と母性が湧いて、若々しい気持ちになるのかもしれない。その振る舞いは、幼い子を可愛がる若いお母さんのようにも見えた。
昼頃、病院に行った洋子さんから電話が入った。追加で検査を受けるので、遅くなるという連絡だった。二人が帰って来たのは、夕方の4時過ぎだった。
胸のCT検査を受けたところ、右胸のしこりは「乳がん」であることが分かった。「高齢だし手術をしない方が良いだろうって、来週も病院に行くことになりました」と洋子さんは言った。緩和ケア科の外来を予約したとのことだった。
その診察に僕も同行した。緩和ケア科の医師は、森さんの右胸を確かめてから、看護師に声を掛けた。森さんは看護師に連れられて隣の部屋に移った。
「緩和ケア科では、がんに対して積極的な治療はしません」と医師は穏やかな声で洋子さんと僕に言った。「まずは今まで通りの生活を施設で続けてもらいたいと思います。痛みが出てきた場合は痛みを取り除きます。施設では看取りはされていますか?」と医師は僕に尋ねた。
「いいえ、看取りを行ったことはありません」
「そうですか。できれば、暮らし慣れた場所で過ごすのが一番だと思います。施設で森さんの看取りをすることを考えてもらえないでしょうか?」
森さんの看取りを行うかどうか、職員と話し合った。グループホームには常勤の看護師がいないこともあり、看取りに賛成する職員はいなかった。ただし、緩和ケア科の看護師の指導を受けて、できるかぎりグループホームで暮らしていくこと、ベッド中心の生活になった場合には緩和ケア病棟に入院すること、以上を話し合いで決めた。後日、緩和ケア科の医師に、施設の方針を伝えた。
そうして、森さんの暮らしに緩和ケア科の医療支援が加わった。
洋子さんは以前にも増して、足繁く面会に来るようになった。右胸のしこりが大きくなり、森さんはお風呂のたびに「なんだろね」と気にするようになった。しかし、風呂上がりに洋子さんと顔を合わせると、森さんはそれを忘れた。午後の余暇活動では、洋子さんの隣で、楽しそうに体操をしたり唱歌を歌ったりした。
日を追うごとに、右胸の状態は悪化していった。止血して、軟膏を塗ったガーゼで右胸を覆う処置をするようになった。麻薬の貼り薬や坐薬の使用も必要になった。
ある真夜中、トイレに起きた後、森さんは右胸のガーゼを外してしまった。部屋の床が血液で真っ赤に染まった。それを見つけた夜勤の職員は緩和ケア科に電話を入れた。緩和ケア科の看護師はすぐに駆け付け、処置してくれた。胸から血が流れただけでなく、もしかして転んだかもしれないと、夜勤の職員は心配になって電話したことを詫びた。「大丈夫です。森さんが転んだんじゃなくて本当に良かった」と看護師は答えた。
やがて徐々に森さんの食事量が減ってきた。お膳を出しても箸を付けず目を閉じていることが多くなった。差し入れの果物ゼリーやジュースさえ口にできなくなった。
森さんはベッドから起きるのが難しくなり、医師の往診を受けるようになった。緩和ケア科の初診から8か月が経っていた。
「他の入居者さんの対応もあるなかで、本当に大変だったと思います。」と医師は僕らをねぎらった。
「職員みんなが森さんを、大事にしたいと思ってくれたからできたんです。みんなのおかげです」と僕は答えた。その日、森さんは入院した。
入院の翌日、森さんの病室を僕は訪ねた。洋子さんが付き添っていた。病室の窓から、はらはらと舞う白い雪が見えた。ベッドで小さな寝息を立てている森さんの、白くて細い手に僕は触れた。その手から命の確かな熱が伝わってきた。洋子さんは森さんと一緒に暮らしていた頃の話を、僕は施設での森さんのことを話した。
「こうして森さんのそばにいると、焚き火にあたっているような気持ちになります」と僕は言った。
「お母さんが、暖めてくれてるのね」と洋子さんは涙ぐみ、微笑んだ。
その3日後、森さんは息を引き取った。
森さんのおかげで、娘の洋子さん、施設の職員、緩和ケア科の医師と看護師、沢山の人が関わり、時間をともにできた。森さんの残された日々が、とても大切な日々になっていた。そして、森さんの顔を思い浮かべるたびに、こう思うのだ。焚き火に手をかざしてみんなで語り合えるような、そんな場所と日々をこれからも作っていきたいと。




