選考委員特別賞
第11回 看護・介護エピソードコンテスト『心とうらはらに』
林 尚美さん

うちみたいな嫁姑問題、結構世の中であることなのかもしれない。

29年前、私は夫と結婚してからずっとそう思い込むようにしてきた。義母は、
「手洗いの蛇口にまだ一滴水が付いてる!放っておくと水の輪っかになるのに!手を洗うたびに雑巾でピカピカに磨くのが、手洗いの基本でしょ!」

食事の後、片付けを手伝おうと、手に持てるだけの食器を持って流しに向かうと、
「コップ、片付けるの忘れてる!全くあなたはぼんやりしてるんだから。」

と声を荒げて言う。また妊娠中の冬でも、
「あんたが、毎日最後にお風呂に入って出る前に風呂場の中は水滴が一滴も残らないように雑巾で拭いて!」

誰かの髪の毛が床に落ちていたりすると、義母が大騒ぎしているので、慌てて髪の毛を拾おうとしゃがんでいる私の背中から更に厳しい言葉を投げかけてくる。

情け容赦ない罵倒が、起きている間中浴びせられてきた。

子供が生まれる前に別居した後も、生まれて一週間も経っていない新生児を見せにこいと電話してきて、お産直後からワンオペ育児だった私がやんわり断ると、
「年長者が出向くなどもってのほか!常識がない。」

と延々電話口で罵られた。更に義母は毎日電話してきて、夕飯に私が何を作ったのかと夫に聞いていた。

言っておくが私は結婚前、大手広告代理店の制作ディレクターだったし、外資系の金融にもいたが、料理は得意中の得意で掃除も好きで一人暮らしもちゃんとこなしていたし、友人もたくさんいて、立派に社会生活は送れていた。

それなのに結婚後は、何かあると息子たちで義兄嫁でもなく私だけに怒鳴るので、親族たちが見かねて何度も彼女に注意をするほどだった。

ところが近頃ずいぶん義母の性格が丸くなったなぁと思っていたら、最近になって認知症が始まったのがわかった。実は以前、私は義母が認知症にでもなったら、
「絶対面倒なんか見ない。可愛がっていた義兄嫁が見ればいいんだ。

柔らかい高級なタオルなんか使わせない。使い古しのタオルを出してやる。

彼女の歯ブラシをトイレ掃除に使ってやろうか。

食べ物だって古いものを食べさせてやったらいい。

お茶なんて出してやらない。脱水でも起こせばいい。」

などといろいろなリベンジの方法を考えていた。

案の定、義兄は働いているし、義母のお気に入りの義兄妻は週2日のパートがあるので、面倒は見られないからうちで見てくれないかと相談してきた。夫も働いているが、私は昨年乳がんと診断され、現在も抗がん剤治療を受けていて、私が唯一家にいる人間だからと言う理由でうちにお鉢が回ってきた。病老介護なんてやはりこの家族は普通じゃない。でも絶好のチャンスだから引き受けよう。そして義母はうちに来た。

ところが義母がうちに来る数日前から、私は私自身の様子が何か変なことに気がついた。

義母のために、私はなぜかソファベッドを用意し、フカフカの布団を買って、ベッドメイキングした。いつでもお茶を入れられるようにフィルターが付いたウォーターサーバーに水を用意し、タオルはフカフカの洗い立てをタオル掛けに掛けておいた。

歯ブラシは本人が用意してきていて、結局私はそれには一度も触れていない。

朝昼晩ご飯を用意して、合間に午前十時と午後三時と午後九時にお菓子とお茶を出す。

食事の量と質と水分摂取量に注視して、体が清潔に保たれているかもチェックしている。
「私は一体何をやっているんだ。」

あんなに夢見ていたリベンジのチャンスなのに。

でもいざ彼女が、硬くなった古いタオルで顔を拭くのかと思うと、自分の頬がひりつくような感覚を覚え、何週間も着替えもせずに汚れた衣服の悪臭に耐え、水分が足りずにいるのを自覚できずに喉がカラカラのまま過ごす様子を、まるで全て自分の身に起こったことのように想像してしまって、結局リベンジなんてできないのだ。

そもそも復讐なんてものは、復讐される当人が自覚している時に反省させるためにするものであって、軽度とはいえ認知症になった人にやっても意味がない。

実行しても何も減るものではないが、得るものもなく、私の心が汚れていくだけだ。

「おはようございます。」

朝声をかけると、誰にも見せないような世界一可愛らしい顔で、
「おはよう。」

と返してくる彼女にもう敵意は持てない。

彼女はその笑顔で、私への謝罪と感謝を表しているのだろう。

今この笑顔が見られるのは、介護している私だけだ。

まぁ、それでいいか。

嫁がいつか姑にリベンジしたかったけど未遂に終わる。この世の中よくあることなのだろう。と今日も自分に言い聞かせ、2杯分のお茶を入れる。