優秀賞
第12回 看護・介護エピソードコンテスト『バリアフリー漫才』
島岡 学さん

俺たち、M-1に出ます(施設、爆笑)。

支援員って、実はネタの宝庫だった

はっきり言う。障害者就労支援施設の日常は、ネタの宝庫である。

毎朝おんなじ時間に、おんなじ顔で、おんなじあいさつをする支援員(私)。いつも同じ席に座り、いつも同じ順番でトイレに行き、いつも同じタイミングで「今日のおやつ何ですか」と聞いてくる利用者さんたち。どっちがルーティンおばけかわからない。

そんな施設に、ある日「漫才講座をやります」という話が降ってきた。

利用者さんへの説明会を開いた日の反応は、忘れられない。「芸人になれますか」と目を輝かせるCさん(六十一歳)。「衣装代は出ますか」とすでに出演する気のDさん。そして隅っこで腕を組み「俺、帰っていいですか」とつぶやくAさん(二十代)。

誰も「やってみたい理由」を聞いていないのに、全員がすでに次のステップの話をしていた。

私だけが取り残されていた。

「しえんいんがロボットみたい」問題

講座初日。「日常のモヤモヤをひらがなで書き出そう」という課題が出た。

Aさんがしぶしぶ書いたのは、こうだ。「しえんいんがまいにちおんなじかおであいさつしてくる。ロボットかとおもってまいかいかくにんしてる」

私のことだった。
「確認って何をしてるの」と聞いたら、「うでをつねってみてる」と言われた。三年間つねられていたらしい。全然気づかなかった。私の痛覚を心配してほしい。

Cさん(六十一歳)が書いたのは「しょくいんしつからわらいごえがきこえるのにぼくたちにはこわいかおをしてくる」。Dさんは「おやつのプリンがいつもぎりぎりひとつあまる。たべたい」。

どれも正しかった。全部、私たちへの愛ある告発だった。

姫路で見た、前代未聞の光景

漫才講座を重ねるうちに、施設全体がじわじわ変わっていった。
そして二〇二四年十二月、「はりまお笑いFES D-1」という大会に参加した。国籍も年齢も障害の有無も関係なく、誰でも出場できる姫路の漫才大会だ。

この日の光景は、正直、人生で一番バカバカしくて、一番感動した日だったかもしれない。

優勝したのは「ちょうふ親子」。思春期まっただ中の息子さんと親御さんのコンビで、ネタの中身は要するに「息子がLINEを既読無視する」という話だった。会場の親御さん全員が「わかる!!」と前のめりになっていた。普遍的すぎる。

準グランプリは「フォーティーズ」。統合失調症の当事者の方が、自分の闘病体験をネタにした漫才を披露した。笑いながら涙が出た。「自分の病気を笑いに変えられて、少し楽になった」という言葉を聞いて、私は支援員として打ちのめされた。こんなに強い人がいるのかと。

大喜利大会では観客も全員巻き込まれ、姫路商工会議所の展示室が笑い声と拍手で文字通り揺れた。帰り際、Aさんが静かに言った。「俺も、ステージに立ちたい」。「無理です」が口癖の男が、初めて自分から「やりたい」と言った瞬間だった。

私は平静を装いながら、トイレで一人ガッツポーズをした。

M-1予選、魔の二分間

二〇二五年八月。大阪SPACE14。

AさんとBさんがM-1グランプリの予選ステージに立つ当日、楽屋でAさんは「お腹が痛い」と言い出した。緊張性の腹痛だった。Bさんは「私も」と言った。二人とも腹痛だった。支援員の私も、実はお腹が痛かった。楽屋が全員腹痛だった。

出番直前、AさんがBさんに言った。「絶対ウケよな」。Bさんが「ウケなかったら先生のせいにしよ」と言った。私は何も悪くない。

スポットライトが当たった瞬間、Aさんの背筋がすっと伸びた。腹痛はどこへ行ったのか。
「最近、支援員が気になっていまして」
「どうしたんですか?」
「毎朝おんなじ顔で、おんなじあいさつしてくるんですよ」
「それって普通じゃないですか?」
「ロボットかと思って、毎回こっそりうでをつねって確認してます」
「失礼にもほどがあるでしょ!!」
どっと笑い声が上がった。私の三年分の痛みが、今、M-1の笑いになっていた。
泣いた。笑いながら泣いた。腕をつねられていた痛みも、全部報われた気がした。

「ウケた」と「来年も出る」だけでいい

ステージを終えて戻ってきたAさんは、開口一番こう言った。
「ウケた」
それだけだった。それだけで、三年間が全部浮かんだ。「どうせ無理」が口癖だった男が、日本一の漫才師を決める舞台でちゃんと笑いを届けた。

帰り道、AさんとBさんはずっとネタの反省会をしていた。「あそこもっとためたほうがよかった」「次はつかみを変えよう」。私はその後ろを歩きながら、こっそりまた泣いた。支援員として三年間、こんなに泣いた日はなかった。

「来年も出ます。次は通過します」
Aさんはそう言って、笑った。「無理です」が消えた日だった。

支援って何だろう、とずっと考えてきた。答えは案外シンプルだったかもしれない。その人が「やりたい」と言える場所を、一緒に探すこと。笑いは、その場所への一番の近道だった。

ちなみに今日も私は、おんなじ顔でおんなじあいさつをした。Aさんには、またうでをつねられた。