第12回 看護・介護エピソードコンテスト『私にもできること』
小松澤 拓登さん
小松澤 拓登さん
私が介護について考え方を変えたのは、母方の祖父母を家族で支えていた時のことだ。私は高校生で、介護の知識も経験もない。だから最初は、自分が関わっても役に立たないどころか、かえって邪魔になるのではないかと思っていた。何かしたい気持ちはあっても、どう動けばいいのか分からず、結局は少し離れたところから様子を見ることが多かった。
その頃、母は祖父母のことと家のことを同時に抱えていた。食事の準備や片づけをしながら祖父母の様子を見て、必要があればすぐ動く。外から見れば普段通りに見えたが、今思うと、母はずっと気を張っていたのだと思う。私はそれに気づいていながら、「私なんかが入っていっても仕方ない」と勝手に線を引いていた。迷惑をかけたくないというより、何をしていいか分からない気まずさから逃げていたのだと思う。
忘れられないのは、ある日の夕方のことだ。母がいつもより明らかに余裕をなくしていて、祖父母のことに加えて家のことにも追われていた。私は見ているだけではいけないと思い、「何かやろうか」と声をかけた。すると母は、こちらを見もせずに「今はいいから」と言った。強い言い方ではなかったが、その一言で私は急に入ってはいけない場所に踏み込んだような気持ちになった。やはり私は役に立てないのだと思い、その場から離れた。
でも、部屋に戻ってからも、その言葉が引っかかった。母は私を拒んだのではなく、それだけ余裕がなかったのではないか。そう考えたとき、私は初めて、介護の場で一番苦しいのは、助けを求める暇すらない人なのかもしれないと思った。何か大きなことをしようとして動けなくなるより、今の自分にできることをやればいい。そう思って、私は頼まれるのを待つのをやめた。
まず台所に行って、残っていた食器を片づけた。それから祖母にお茶を持っていき、隣に座った。何を話せばいいのか分からず、最初は沈黙ばかりだった。気まずくて、やはり来なければよかったかもしれないと思った。けれど祖母はしばらくして、ふっと笑って、母の高校生の頃の話をし始めた。部活で負けず嫌いだったこと、家では平気な顔をしていても本当はよく気を遣う性格だったこと。私はその話を聞きながら、さっき台所で張りつめていた母の姿と、祖母の記憶の中の母の姿が重なるのを感じた。
そのとき私は、介護は目の前の人の世話だけではないのだと思った。介護される人の体調や気持ちに向き合うことはもちろん大事だ。でも実際には、その周りで支える家族の気力や余裕が少しずつ削られていく。そのぎりぎりのところで日常を保っている人がいる。私はそれまで、介護の大変さを「される側」からしか見ていなかった。けれどあの日、祖母と話し、母の様子を見て、支える側にもまた支えが必要なのだと初めて実感した。
しばらくして母が部屋に入ってくると、祖母は私と話していた内容を笑いながら話した。母は少し驚いたような顔をして、それからほんの少しだけ表情をゆるめ、「助かった」と言った。その一言は短かったが、私はなぜかとても強く心に残った。褒められたことがうれしかったのではない。さっきまで入り込めないと思っていた場所に、自分もほんの少し関われたことがうれしかったのだと思う。介護の場には確かに大変さや緊張がある。でも、その中で誰かの張りつめた気持ちが少しゆるむ瞬間があることを、私は目の前で見た。
あの日以来、私は介護に対する見方が変わった。以前は、介護は知識や経験のある大人が担うものだと思っていた。けれど実際には、話を聞くこと、そばにいること、家事を一つ引き受けることも支えになる。しかもその支えは、介護を受ける人だけでなく、介護をしている人にも届く。私にできたのは本当に小さなことだった。それでも、母の「今はいいから」の裏にあった余裕のなさに少し触れ、そのあとに「助かった」という言葉を聞いたことで、小さな行動にも意味があるのだと分かった。
私があの経験で感じた喜びは、誰かの役に立てたという単純な満足ではない。自分には何もできないと思い込んでいた場所で、関わる方法はあるのだと知れたことだ。看護や介護の価値は、立派な行為や特別な献身だけにあるのではなく、ぎりぎりの毎日の中で、誰かが一人で抱え込まないようにするところにもあるのだと思う。祖母の隣で母の表情が少しやわらいだあの日、私はそのことを初めて実感した。今でも、あの短い「助かった」という一言は、私にとって看護・介護の温かさとやりがいを教えてくれた言葉になっている。




