選考委員特別賞
第12回 看護・介護エピソードコンテスト『あした げんきに なあれ』
松葉 英里さん

神様から、「さあ、ゲームを始めよう」と言われました。
「ルールはとても簡単です。そして、達成できたら、あなたを一生幸せにします」と提案されました。
ルールは、ただ一つ。
「誰とも、会話をしないこと」
一日くらいなら平気という人はいるかもしれません。
では、一週間だったら。一か月だったら。一年だったら。
もし一生、誰とも会話がないとしたら、あなたならどうしますか。

私は二人の子供を育てる母親です。
我が家の朝は、「おはよう」から始まります。コーヒーを片手に夫と昨日の出来事を話し、まだ眠くて不機嫌な息子にも声をかけます。

その隣で朝ごはんを食べている娘とは、ほとんど会話がありません。機嫌が悪いわけでも、体調が悪いわけでもありません。娘は、ほとんどしゃべることができないのです。

息子がまだ手のかかる四歳のとき、娘は生まれました。三二四〇グラムの元気な赤ちゃんでした。娘はとても大人しく、新生児の頃でさえ、ほとんど泣かなかったことを覚えています。周りからも「おしとやかでいいね」と言われ、わんぱくな息子に手いっぱいだった私は、娘の育てやすさにずいぶん救われました。

このときの私は、母乳をたくさん飲んで、すくすく大きくなる娘に、何も心配していませんでした。

娘が一歳を過ぎた頃から、少しずつ心配なことが増えていきました。歩かない。喃語すらない。息子のときと比べても遅いことは分かっていましたが、「大丈夫」と自分に言い聞かせ、ごまかしながら過ごしていました。

けれど、その心配は一歳半健診で現実になりました。娘以外の子どもたちは、靴を履いて歩き、そして喋っていました。母子手帳に押された「要観察」という赤い印鑑は、零れ落ちる私の涙で滲んでしまいました。

広い海の真ん中に、ひとり投げ込まれたような気分でした。見渡す限り海しかなく、どこへ泳げばよいのかも分からない。不安を少しでも和らげたくて受診した小児科で勧められたのは、大きな病院での精密検査でした。

そこから、リハビリに通う日々が始まりました。そして“育児”と“介護”の境界が曖昧になっていく日常が始まりました。

私は毎日泣きました。靴を履いて歩く子を見ても、スーパーで駄々をこねる子を見ても、公園で遊ぶ子を見ても、涙が自然と流れました。

なぜ私の娘なのか。なぜ私なのか。何が悪かったのか。何をすればよかったのか。
家族が寝静まった夜中、インターネットで検索しては、泣きました。

そして一番私を苦しめたのは、何よりも大切で、何よりもかわいい娘のことを、「この子が生まれなかったら」と考えてしまったことでした。“娘のためなら何でもしたい自分”と、
“もう全てやめたい自分”が喧嘩をして、心がバラバラになりそうでした。

娘が三歳の頃、主治医から「知的障害の疑いがあります」と告げられました。
「今からリハビリや療育を頑張れば、ほかの子に追いつけますか」/span>
涙を堪え、精いっぱい尋ねた私に返ってきたのは、「分かりません」という言葉でした。
死にたくなりました。やっと海の底から顔を出し、島を探して泳ごうとしている私に、「島はない」と言われた気がしました。

その日、当時七歳だった息子が小学校から帰って来るまでには泣きやみ、気づかれないように目を冷やし、眼鏡とメイクでごまかしました。「おかえり」の声が震えないように、何度も練習もしました。

けれど帰宅した息子は、ティッシュにくるんだ四つ葉のクローバーを「お母さんにあげる」と差し出し、「僕は、まなちゃん大好きだから、絶対大丈夫」と言ってくれたのです。

私がずっと聞きたかった「大丈夫」を、誰よりも早く伝えてくれたのは、幼い息子でした。
その瞬間、息子の前では泣かないと決めていた私の意志は、あっけなく崩れました。
子供たちを幸せにするために生きよう。
その思いが、もう一度、広い海を泳ぐ力を私にくれました。

娘は今、十一歳。重度知的障害です。 はっきりとした言葉は出ませんが、たどたどしい声と、全身を使った表情や仕草で懸命に伝えようとします。 食事の介助、排泄のサポート、着替え、入浴、夜中の見守り。 体調が崩れると、娘が自分の症状を説明できないため、病院で診察が困難なことも私の日常。 娘の生活は、私の介護と看護なしには成り立ちません。 それでも、娘のまなざしはいつもまっすぐで、私に「生きる力」をくれます。

もし今、神様にもう一度あのゲームを提案されたなら、私は参加しません。
会話は、言葉だけではないからです。 伝えたいと願う気持ちから生まれる表情や仕草、差し出された四つ葉のクローバー、たどたどしい声。 そのすべてが、私にとっての「会話」です。そして「会話」のない世界に私の幸せはないからです。

障害を持つ子どもを育てるということは、産んだ瞬間から、育児・介護・看護が一生続く覚悟を求められます。 その現実を受け入れることは決して簡単な事ではありません。 けれど、障害=不幸ではなく、健常=幸せでもない。 幸せは、誰かから与えられるものではなく、 日々の中に生まれる小さな会話、小さなサイン、小さなぬくもりに気づくことで、そっと隣に座ってくれるものだと思うのです。

介護や看護は、ときに心を沈めるほど重く感じる日があります。 それでも、必ずある「幸せ」を見つけて感じて欲しいです。 絶望の中にも、希望があり、悲しみの中にも喜びがあります。

介護や看護に関わる全ての人に伝えたいです。どうか、自分が経験した苦しさや悲しさが、強さや優しさであることに気づいて、頑張る自分を誇りに思って欲しいです。
そして、どうしても心も身体も動かない日は、無理に頑張らないでください。
そっと「あした げんきに なあれ」と唱えて、明日の自分にバトンを渡して欲しいです。