選考委員特別賞
第2回 看護・介護エピソードコンテスト『きみえさんちものがたり』 三上 薫さん

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きみえさんから教わったことのひとつが、「一髪、二化粧、三姿」という言葉です。
 一髪 → 髪を整える。
 二化粧 → お化粧をする。
 三姿 → 身支度を整える。
この順番を守り長年生活をしてきたそうです。私は、休みの日は化粧もせず、ジャージで過ごす話をすると「若い時からちゃんとしないとね」と愛のムチ。娘さんも「私たちも結構言われるんですよね」と苦笑いをされていました。でもその言葉通り、お写真を撮らせていただきたいとお願いをすると、眼鏡をかけて髪型や表情を確認し、お気に入りのカーディガンを着て撮影に臨んでいました。

また、元気に通所リハビリに通っていた頃も、しっかりと身支度をして、ストッキングもはいて通われていたようです。気品があり、瀟洒で、私も年齢を重ねていく上で、きみえさんのようになれればいいなと今でも思っています。
娘さんも愛用している金粉入りの化粧水や石鹸も使っていて、訪問するとお顔に金粉が付いていることもありました。「あら~、いらっしゃい」と、キラキラの笑顔でお迎えしてくれたことを思いだします。

私は、高齢者の方は肉類よりも魚類を好み、煮物やあっさりした食べ物を好んで食べると勝手に思い込んでいました。しかし、きみえさんはグラタンやチーズ、鶏肉等を好み、魚はあまり好みませんでした。ご家族はいつも献立をご本人と相談していて、沢山食べてくれると喜んで作っていました。繊維質の野菜や、トウモロコシといった皮があるものはしっかりと咀嚼をした後、きれいに口から繊維だけを出す癖もありました(昔からだそうです)。
お菓子も大好きで、100歳のお誕生日には、村上先生からじゃがりこ1箱をプレゼントされていました。塩分が多いお菓子なので、むくみの事を考えると普通の医者は「塩分が多いから食べない様に、減塩してね」と言って食べさせないと思います。ところが村上先生は「むくんだ時はまた診に来るから、好きなだけ食べていいよ」と言って、きみえさんも喜んで食べていました。年齢を考え、節制するよりもまず本人の好きなようにして、周りはそれをサポートするべきとの考えからです。どうなったか想像はつくかと思いますが、やはり両下肢にむくみを確認することとなり、先生が往診することになりました。今ではいい思い出と、先生もお話されています。

月日は経ち、きみえさんは熱発を繰り返す様になりました。熱発が起こるたびにADLが低下していき、食事の量も少なくなり、寝ている時間が多くなってきました。元々仙骨が突起している方で、栄養状態も低下していたこともあって、皮膚の状態にはかなりの注意を払っていたつもりでしたが、それでも仙骨に褥瘡が出来てしまいました。訪問看護とも連携しながら対応していましたが、きみえさんが痛がったり、辛い表情をしているのが切なくて堪りませんでした。
昔、上司から教わったことがあります。「利用者様の身体を綺麗にし、傷をつくらずにケアすることがあなたたちの仕事であり、傷をつくってしまったことは、あなたたちのケアの結果です」。その言葉がきみえさんのケアに行くたびに思いだされ、どうにか改善できないかと、訪問診療の先生や栄養士さんにアドバイスをいただきながら対応していましたが、最後まで改善することはありませんでした。

ADLや体力が低下していくにつれ、ご家族様も不安が募っている様子でした。訪問時間終了後も、家族の不安や今後のきみえさんの変化として予想されることなど、我々の答えられる範囲でお話をさせていただきました。きみえさん自身も不安だったのではないかと思いますが、何かしてほしいことはありますか? と聞いても、いつも「何もないよ」というお答えでした。
でも、私たちスタッフの手をぎっちり握りしめることもあり、その時はきみえさんが手を放すまで握っていました。言葉で不安を解消することもできますが、言葉だけでは伝えきれないこともあると思います。そんな時、こうした形で少しでもお力になれたらとの想いからでした。

きみえさんはだんだんと足のむくみが強くなり、食事が摂れず、水分の摂取量も少なくなっていきました。訪問診療の先生から、命の期限が迫っていることを聞き、ご家族様もこのまま家で最期を迎えさせたいとの意向を確認しました。ご家族様は大きな混乱なく受け入れておられました。

平成27年2月17日。ご家族様に囲まれて、長谷川君江さんは永眠されました。享年102歳でした。すぐに訪問診療の先生より連絡があり、遅い時間でしたがご自宅に訪問させていただきました。訪問看護で着替えやメイクをしていただいたと言われ、お顔を見ると皮膚もツヤツヤしていて、にっこりと微笑んでいるようでした。思わず「わあ、きれい・・・・・・」とつぶやいてしましました。「本当にきれいで、母は幸せだったと思います」とご家族様も仰っていました。静かにお見送りしたいとの意向で、葬儀等は親族だけで執り行われました。私達は後日、お参りさせていただきました。

きみえさんが亡くなって数ヵ月後のことです。亡くなった当初は何度かお参りさせていただきましたが、しばらくご無沙汰していました。そこで、久しぶりにお参りさせて下さいと連絡し、お宅に伺いました。長居をするつもりはなかったのですが、本州の長男ご夫婦と、次女様もいらしていたので、再会に話が弾みました。
その中で「この家をささえるさんで、何かの形で使ってもらう事ってできないのかな?事務所でもいいんだけど・・・」と長男様より提案がありました。
「長女も市外で生活していて、この先は家を壊してしまうだけ。でも、どんな形でもいいから家を残したい。ささえるさんで使用してくれたら母も喜ぶはず」と・・・・・・。

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