大賞
第3回 看護・介護エピソードコンテスト『ほがらかに楽しくおらせてくれやの』松村 朋枝さん

3/3

認知症の人としてではなく、正子ばあちゃんとの日々の中で、接し方や言葉かけによって、人はこんなにもその人らしく暮らしていけて、元気になるということを目の当たりにしている。
私の母は「若年性認知症」だった。認知症対応型の小規模多機能に通っていたときのことは忘れられない。毎回のように、能面のような顔で帰ってくると、私と面と向き合って顔を合わせているのに視線が身体を通り抜けて絡まないという寂しさは、今も身体の記憶として残っている。母親のことを分かって欲しいという一心で、保育士だった母親がどのような人生を歩んできたのか、押し花が好きで、保育園の卒園児からも手紙をもらうほど慕われていたことなどを主治医や事業所のスタッフに届けた。主治医から、「あなたがそんなにお母さんのことを細かく言うから、お母さんが良くなりませんよ」と言われたその一言は忘れない。事業所のスタッフからは面倒くさいといった態度をされて悔しかったことを思い出した。母は若年性認知症と診断されてから10年を生きた。病院で亡くなったときのことである。看護師から「ご遺体どうされますか?」と聞かれ、戸惑い動揺した。死亡宣告をうけて数分後、温かいぬくもりを残している母親の死を受入れられていない私にとって、その言葉は重く、同時に後悔の念が沸きだしたことを思い出した。「何で、お母さんを病院で死なせてしまったのだろう・・・、しかも口を開けたままの状態で」。

人は、いつ誰と出会うかによってその後の人生が大きく変わる。94歳の正子ばあちゃんは、居場所をなくし、役割をなくし、自分が価値のない人間だといわれてきたが、同居家族の交通事故をきっかけに、ややのいえに自分の人生をかけてやってきてくれた。だからこそ、正子ばあちゃんが発する言葉の意味は深い。熱が出る、転ぶ、咽る、突然意識がなくなる、徐々に認知症が進み几帳面で上手だった洗濯物を畳むこともできなくなり、できることは少なくなってきている。だけど、「正子ばあちゃんらしさ」は健在である。一秒前に薬を飲んだことも忘れる日々、忘れても大丈夫と接するスタッフと一緒に過ごせることがうれしくなった。人は、食べて、寝て、排泄する、そして心の拠り所、心を動かす仕掛けが必要なのである。正子ばあちゃんは、友人と一緒に、町娘役で認知症金色夜叉という劇に出演した。が、出演した翌日には、「そんなものに出ておらん」とすっかり忘れているが、写真を見せると「私に似た人は、た~んとおるもんや」と言い張り、今でも出たことを認めてくれない。
すでに認知症である正子ばあちゃんは、医学的には海馬10%しか機能しておらず、ドーパミンの分泌は0、長谷川式認知症スケールは0点、食事も介助することが増え、ベッド上で過ごす時間が長くなってきた。しかし、正子ばあちゃんらしさは健在だ。
今は、「いつ死んでもいいけど、ほがらかで楽しくおらせてくれやの、楽しくあの世(天国)に行けますように」、「病院には行きたない、最期までここにおらせてくれやの」と言っている。元気なときはベッドの柵を超えて転びそうになったり、ベッドのコンセント抜いたりと・・・知恵比べの毎日。正子ばあちゃんの存在自体が私達の訪問看護やホームホスピスの核となる「真の拠り所となる場所と人」の大切さを身を持って教えてくれている。そして、正子ばあちゃんの笑顔を見たくて、スタッフは競争してネタ探しをする。最初は、正子ばあちゃんにとってややのいえは拠り所だったが、今は正子ばあちゃん自身がややのいえの拠り所になっている。私は、正子ばあちゃんから言われた「人のあっこは言ったらいかん、必ず自分にかえってくるんや。」という言葉を胸に刻むことで、他の人に穏やかに接することができるようになり、イライラしなくなった。
ややのいえにとって、正子ばあちゃんの存在そのものが大切であることをこころにとどめながら、日々の患者さんと毎日向かいあっている。

  • 広報誌オレンジクロス
  • 研究・プロジェクト
  • 賛助会員募集について
  • Facebookもチェック