選考委員特別賞
第3回 看護・介護エピソードコンテスト『むらかみさんでささえたい』 山﨑 緋沙子さん

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「どこにも行きたくない。」と祖父が言ったこと、祖母が入院したまま帰れずに亡くなったことを悔やんでいた祖父の思いを汲み、通院から在宅医療へ切り替え、私たちは訪問看護に通うことになりました。
大正生まれの祖父は結婚してから大工として働き、神楽岡に自分の家を建て移り住みました。昔から活動的だった祖父も病気の進行に伴い少しずつ動けなくなり、1日の大半を大きな窓のある居間で過ごすようになりました。昔祖母が手を振ってくれた窓には、私が通るたびにヒラヒラと手招きするように手を振る祖父が映るようになりました。
末期がんと診断されてからも、祖父は大好きだったデイサービスへ週3回通い、わがままを言ってベッド上でのこぎりを使い木屑をまき散らしながらも、悠々自適な在宅療養を続けました。
「私は祖父に訪問看護師として何をしてあげられるだろう。」
答えを出せず、何も出来ぬまま、祖父は最後まで自宅で一人暮らしを続け、痛いことも苦しいこともなく安らかに、眠るように静かに息を引き取りました。
祖父は最後の誕生日会の席で「いい人生だった」と振り返っています。
自分で建てた家の窓からこの地域の移り変わりを見てきた祖父は、いつも遊びに来る孫やその友人たちの訪問看護という応援を受け、最後まで“私たちのじーちゃん”らしく生ききりました。

訪問看護中、ふと祖父母の話を耳にすることがあります。
「あなたのおじいちゃん、おばあちゃんは優しい人だった。」
「甘酒をご馳走になったことがあるの。」
「あなたのおじいちゃんの若い頃を知っているよ。」
「あの家を建てたのはあなたのおじいちゃんよ。」
この地域で暮らした祖父母の物語が今ここで暮らす人たちの中で生き続け、今私たちにも繋がり広がっています。
そして、むらかみさんにはこの地域に愛着を持ち、この地域で暮らす人たちを大切に思い、支えたいという仲間が集まりました。
『この地域で生まれ育った私たちだからこそできる温かい看護があるはず!!』
そんな熱い思いを持った仲間と、誰かのおじーちゃん、おばーちゃんが最後に「いい人生だった」と言えるように!!今日もこのまちで“むらかみさん”は車を走らせています。

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