優秀賞
第8回 看護・介護エピソードコンテスト『「生きる」ことと、私の誓い』 栗原 佑果さん

私にとって、病気や病院は幼いころから身近な存在だった。物心ついた時には祖母は骨と皮ばかりでがりがりに痩せていて、闘病の末60歳で亡くなった。祖母が亡くなると、今度は祖父が倒れた。持病のアルコール依存症が悪化し、そのうち白血病になり、それが寛解したかと思えば胃がんになった。胃がんの手術を終えて一時退院してすぐ、今度は咽頭にがんが見つかった。父はそんな祖父を献身的に支えた。通院に付き添い、着替えを持って病院に行く。時にはアルコールの禁断症状で騒ぐ祖父を羽交い絞めで押さえつけ、近隣住民に頭を下げて回ったこともあったそうだ。そんな生活を繰り返しているうち、父の耳はある日突然聞こえなくなった。治療をしたものの、めまいや頭痛の後遺症が残ってしまった。

私が看護師を志望して大学に入学したのは、そんな頃だ。大切な人が苦しんでいるのを目の当たりにして、何もできないことが悔しかったからだ。痩せていく、弱っていく、心が不安定になっていく。そんな様子を病室のカーテンの隙間からそっと見つめていることしかできなかった自分に嫌気が差したからだ。

初めて実習に行ったのは1年生の3月。私は看護師さんに連れられるまま病室に向かった。今でも、よく覚えている。

ナースステーションのすぐ近く。個室の引き戸を開けると、そこには30代半ばくらいの女性患者がいた。明るい茶色に染めた髪は肩のあたりで切りそろえられていて、病衣を着ていることを除けばごく普通の女性のようだった。私は情けないほど緊張していて、必死に自己紹介をした。そして勉強のために清潔ケアを一緒にさせてもらっても良いか、尋ねた。

すると、その女性患者さんは鷹揚に微笑んだ。

「どうぞ、たくさん見て勉強してください」

病衣の紐を自ら解く。そうして露になったのは、肋骨が浮き出るほど痩せた体と、左右がちぐはぐな乳房だった。

翌日、彼女の電子カルテを見た。彼女は小さな子供が二人いるらしい。旦那さんもいて、家族関係は良好なのだそうだ。そして、近いうちに退院する。もう、急性期病棟では診ることが出来ないから。彼女は根治治療を中止し緩和ケアに切り替えるのだ。それはすなわち、近いうちに死ぬということを意味していた。

「どうぞ勉強してください」と言った彼女の穏やかな表情が思い出されて、息苦しくなった。刹那、幼いころから考え続けていた、怒りとも嘆きともいえる疑問が、私の中で激しく沸き起こった。

若いのに、子供も小さいのに。どうしてこんなことが起こらなくてはいけないのだろう。いいことをしていても病気になる人はいるし、悪いことをしていても病気にならない人はいる。因果応報とか、日々の行いとか、そういうこととは全く関係なく、ひとは病気になる。治るひともいれば、治らないひともいる。

なんて理不尽だ。

とんでもなく、不平等だ。

私はどうにも平静を保っていられなくなって、先生に話した。すると、先生は「いい実習をしているね」と私の肩をポン、と叩いた。

訳が分からなくて、ただ先生の顔をキョトンと見つめていると先生が微笑んだ。

「先生もね、ずっとそんなことの繰り返しよ。もう辞めよう、自分にはこんなことは出来ない、って思う。それでも騙し騙し続けているとね『この仕事でよかった』って思う時が来るの。もう少し頑張れる、って思う。それでまた打ちのめされて、思いがけず嬉しい瞬間が来て…ってね」

私は驚いた。先生ほどの経験を積んでも、どうにもならない理不尽で溢れているだなんて。

何も言えないでいる私に、先生は続けた。

「看護って答えがないことばっかりで嫌になっちゃうけど、沢山感じて、考えること。それを、これからも辞めないでほしいな」

実習が終わってから約3か月後、祖父が亡くなった。腫瘍が頸動脈を圧迫して、何度か吐血した後に息を引き取るという壮絶な最期だった。それでも祖父は、血の気のない顔で駆け付けた家族に別れを告げて旅立った。65歳だった。まだ亡くなるには少し若い。それでも、祖父は「悪くない人生だった」と呟いて、逝った。

祖父は正直、立派な人ではなかった。酒に溺れ、迷惑という迷惑をかけ、それでいて孤独にめっぽう弱いひとだった。「頸動脈が破裂すれば、即死です」という医師の見立てに逆らい最初の吐血から3時間ほど生きて、親族が揃ってから亡くなった。

私は、祖父の死に際に、祖父の生きざまを見たような心地がした。

今は大学3年生。わずかばかり経験を積んで、分かったことがある。

それは、「私が患者さんに出会うとき、患者さんは生きている」ということだ。私は生きている患者さんに出会い、そして関わることができる。

私はこれからも、生命の理不尽に遭遇するだろう。それでも「どうして」と悲嘆に暮れるだけで終わりたくはない。私はもう、カーテンの隙間から無力な自分を呪う少女ではないからだ。

病気でも、怪我をしても、死に向かっていても、その瞬間その人は生きている。私に出来ることは何だろうか。何を求められているのだろうか。

正解はない。だからこそ、感じて、考えることを諦めずにいたい。そして「生きる」ことに寄り添う看護師になりたいと、強く思う。

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