選考委員特別賞
第8回 看護・介護エピソードコンテスト『孫の手』 山本 彩世さん

「これぞ『まごのて』だわ」

私がおじいちゃんの膝をさすると、今日もおじいちゃんが嬉しそうに言った。孫の私がとても弱い力でなでているだけで、寝たきりで固くなった膝の痛みがとれるそうだ。

「孫の手から、いい力が出とるんじゃ」

おじいちゃんが喜んでくれるから、たくさんなでてあげたくなる。

おじいちゃんが心筋梗塞になったのは一昨年の秋。日が短くなり、コートなしで下校するのがつらいくらいの時期だった。

もともと心臓が悪かったおじいちゃんは、ある日、異変を訴えて病院に行った。救急車ではなく、母が運転する車で行った。自分の体の中が大ごとになっているとは思っていなかったようで、病院では母に冗談をとばしていたらしい。しかし、検査の結果、緊急入院することになった。

連絡を受けた私が病院に駆け付けたときには、おじいちゃんはICUのベッドで眠っていた。

おじいちゃんはすごく「おじいさん」になっていた。

それはベッドの上で何本もの管につながれているからかもしれないし、しばらく会っていなかったからかもしれない。とにかく、そのときの私には、記憶の中のおじいちゃんと目の前のおじいちゃんが別人のように見えた。小さくて、弱々しくて、枯れ木のようだった。

その日から、介護の日々が始まった。

部活が忙しかった私は、毎日学校の帰り、真っ暗になってから自転車を飛ばし、病院へ向かうようになった。大抵おじいちゃんは寝ていた。真っ白な清潔な病室で、見たこともない機械が立てる電子音に囲まれながら寝ていた。

お看取りが近いです、と言われた。

おじいちゃんの顔を見るたびに、こんな人だったっけ、と思った。

「たしか、おじいちゃんはもっと大きくて、強くて、私をひょいと抱っこしてくれたはず」

そう考えてはっとした。私はもう高校生だ。最後に誰かに抱っこされたのは何年も前のこと。私が持っているおじいちゃんの印象は、いったいいつで止まっているのだろう。

一人暮らしのおじいちゃんは、私の家のすぐ近くの一軒家に住んでいた。歩いて一分もかからない場所だ。でも、最後に会ったのがいつだったか思い出せない。仲は良かったが、用事が無いので会わなかった。会っても、おじいちゃんと過ごす時間は短く、印象に残らなくて、曖昧な記憶しかない。

いつの間に、おじいちゃんはこんなに「おじいさん」になっていたんだろう。

私が小学生だったころは元気だったはずだ。中学に入ってからは?よく覚えていない。高校生になってからは?会ったっけ?

私が自分の事ばかり考えて、家と学校とを往復している間に、おじいちゃんは何をしていたんだろう。どう過ごしていたんだろう。そもそも、おじいちゃんはどんな人だったんだろう。

知らないことだらけだった。

お看取りと言われてから二か月半。

おじいちゃんは喋れるまでに回復し、先生や看護師さんや家族を驚かせていた。そして、リハビリをする病院に転院することになった。

そこで三か月過ごした後、在宅介護に切り替えた。

介護のために、私と母はおじいちゃんの家に引っ越した。使われていない、物置のようになった部屋がいくつもあったから、数か月かけて片づけ、生活空間を整えた。主に母が頑張っていたけれど、週末や長期休暇など、手伝えるときは私も協力した。

おじいちゃんの書斎を片づけたときのことはよく覚えている。本棚の奥までぎっしりと、大量の本が見つかった。医療や福祉に関する本ばかり何百冊も。医療従事者だったというおじいちゃん。仕事熱心な、真面目な人だったのだろうと思った。私は、孫である私をかわいがってくれている姿しか知らない。働くおじいちゃんを一度見てみたかった気がした。

賞状も見つけたし、水泳用品をはじめとしたスポーツ用品も見た。わからなかったおじいちゃんの輪郭が、少しずつ見え始めた気がした。

あっという間に春が来て、おじいちゃんは福祉タクシーに乗って帰ってきた。看護師さんやケアワーカーさんなど、たくさんの方の協力で実現した、約半年ぶりの帰宅だった。おじいちゃんは、「おお、帰ったわあ」と嬉しそうだった。

この春で、おじいちゃんが帰ってきてから1年になる。寝たきりで、痛いところや苦しいところはあるそうだが、それでも、お看取りと言われた人だとは思えない。調子がいいときは昔の話をしてくれる。

それは若いころの面白い話だったり、大人になって偉くなって表彰された自慢話だったり、いろいろだ。

先日、おじいちゃんの膝をなでていたときには学校の話になった。おじいちゃんは学生時代、水泳部だったそうだ。部活に熱中するあまり疲れて授業中に寝てしまい、何度も怒られたという。

この話をするとき、おじいちゃんは楽しそうに笑う。私はスポーツ少年の姿を想像してニコニコしてしまう。その子はきっと私のクラスにもいそうな子で、数年しかない学生生活を思いっきり楽しんでいるんだろう。

「これぞ『まごのて』だわ」

私がおじいちゃんの膝をさすると、今日もおじいちゃんが嬉しそうに言った。孫の私がとても弱い力でなでているだけで、寝たきりで固くなった膝の痛みがとれるそうだ。

「孫の手から、いい力が出とるんじゃ」

おじいちゃんが喜んでくれるから、たくさんなでてあげたくなる。

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