優秀賞
第9回 看護・介護エピソードコンテスト『奇跡をおこす、豊かな笑顔。』
河村 一孝さん

「この子が笑ったり泣いたりすることは一生ないかもしれません。覚悟してください。」

娘が生まれて1歳を迎えた時に言われた言葉です。

娘は、生まれて9か月の時に細菌性髄膜炎にかかり、重度の障害が残りました。

脳の3分の2が壊死してしまい、首も腰も据わらない状態。ほぼ寝たきり。

感情表現も出来なくなってしまいました。

昨日まで笑っていた娘が、ある日突然お人形のようになってしまった。

どうする事も出来なかった無力さと、助けられなかった罪悪感。

これは夢なんじゃないか?受け入れる事なんて出来ませんでした。

娘も私もすべてを失ったような。

それでも時間は止まる事も、戻る事もなく過ぎていき。

娘と暮らす為、次から次へと教えられる介護の仕方。

それはまるで業務を教わる新人社員のようで。

娘を育てる為にやっと覚えた育児。

大変だったけど楽しくやっていたはずなのに、全て介護に変わる。

介護は辛いとか、悲しいという事すら私に考えさせる事も無く、

とにかく娘と生活する為、娘が生きていく為、私が覚えなければいけない事。

介護は私の義務になっていました。

そして主治医から言われた言葉、

「この子は一生笑ったり泣いたりは難しいと思います。覚悟してください。」

だんだん私は仕事に行けなくなり、どんどん家に籠るように。

うつ病になってしまったのです。

毎日、辛い・・・、死にたい・・・。

妻は毎日私からこんな言葉を聞かされて。

本当に辛く、大変な思いをさせました。申し訳なく思っています。

それでも妻は必死に家族を守ってくれました。

娘にも、私にも、最善は何なのか、とにかく家族をひっぱってくれました。

娘と妻と私、三人いつも一緒の時間。

仕事に行かないがゆえに、私は娘のそばにとてもたくさんの時間いました。

娘の通院、リハビリ、介護、ずっとそばに。

そしてある日、先生からある提案を受けました。

「娘さんと一緒にリハビリ入院をしてみたらどうか?」

という提案です。

リハビリ入院とは、リハビリ施設に障害を持つ子供と親が一緒に入院するというものです。

娘のリハビリにもなりましたし、私自身の健康と、娘と向き合う重要な時間となりました。

24時間娘と一緒にいる事で、介護にも慣れましたし、娘の変化に気づく事が出来たのです。抱っこする事で筋緊張の変化、胃残の状況、娘の変化にとても敏感になりました。

義務になっていた介護は、だんだんと娘とのコミュニケーション、会話になっていたのです。娘はしっかり生きている。私はそう思えました。

そして退院の日、医師から言われたのです。

「この子は感情の表現が出来ません。でもいろんな事を感じ取っています。だから諦めないでください。この子と接して、向き合ってあげてください。」

私はこの子に辛い気持ちも楽しい気持ちも介護をしながらたくさん見せていこう。

そう決めました。それからは鬱の症状も回復し、娘の介護をとおしてたくさんの会話、コミュニケーションをとりました。外出もとても増えました。

スーパー、公園、ショッピングモール。

でも娘と私の症状から、人込みや遠出は避けていました。

でも障害をおってから半年が過ぎたある日、

「ディズニーランドに行く!」

妻が言い出したのです。

ずっとずっと我慢していた妻の勢いだったのかもしれません。

そして元気だった頃に娘がとても好きだったディズニーランド。

感情は表現出来なくても絶対喜んでくれるはず。

妻はそう考えたのです。

ディズニー当日は正直娘の注入や介護に必死で、何をしたかはほとんど覚えてません。

そして疲れきって帰宅。

ふと娘をみた妻が、

「ねぇ、笑ってない?この子、笑ってるよ!!」

全く表情を失っていた娘が、にこっと笑っていたのです。

一生笑えないといわれた娘が、にこっと笑ったのです。

なんと、諦めろと言われた笑顔を半年で娘は取り戻してくれました。

奇跡です!!

本当に驚き、妻と涙した事は覚えています。

そこからは娘はどんどん感情を取り戻し、今では泣いたりもします。

この話を、仕事で知り合った韓国出身の同僚に話した事があります。

その時こんな話をしてくれました。

「韓国では、子供が生まれた時こんな話をします。

人間は、危険を周りに伝え、命を守る為、泣くという事を覚えて生まれてきます。

でも笑顔は、人生を豊かにする為、生まれてから覚えるものです。

周りが豊かであるからこそ笑顔は生まれる。だから子供には笑顔を見せなさいと。

娘さんは奇跡的に笑顔を思い出した。

これはあなたの周りが笑顔がいっぱいで豊かな証拠ですね。」

この話を聞いた時、自分が介護を始めたころを思い出しました。

娘のそばで義務になっていた介護、その頃は顔も疲れ私自身も笑っていなかった。

でも娘と向き合い、介護がコミュニケーションになりだして、たくさん笑えるようになったなぁと。

娘に接してくれる人たちみんなが介護を業務や義務としてではなく、娘を思いやり、コミュニケーションをとってくれたからこそ奇跡はおきたんだなぁと。

私がこうして娘と向き合い、娘の話を周りのみんなにする事で思う事があります。

健常者、障害者、障害児、外国人、老人、若者、子供。

結局、誰と接する時も、相手と向き合い、相手を思いやればどんな相手でもコミュニケーションがとれる。そして奇跡のような事が起き、日々は豊かになるのだと。

これからも娘との生活は、たくさんの奇跡と、豊かな笑顔であふれている、私はそう思うのです。

  • 広報誌オレンジクロス
  • 研究・プロジェクト
  • 賛助会員募集について
  • Facebookもチェック