認知症のある人との心理的対等性実現のためのXR技術を活用したPX体験学習システムの開発と実証評価研究
2023年度から静岡大学と共同でケア従事者の支援力向上を目的に、PX (Patient eXperience)をメタバース空間において擬似的に体験するための学習システムを開発し、その効果を検証しています。主に専門職を対象とし、メタバース空間において認知障害の体験機能を実装することで、多様な認知障害を再現し、複数人で協調的に学び合える仕組みを構築します。メタバースでの学習活動をデータ化し、ラーニングアナリティクスによって学習効果の検証をします。
当研究実施の背景は、「人工知能学に基づく「認知症見立て知」の共学・共創システムの開発と実証評価」研究で判明した課題解決を目指すことにあります(以下課題)。
- ケア実践者のためのICTを活用した学びの場の創造、その効果として認知症の医学的要因を見立てる力が育成できるものの、実践体験のない状況では、知識獲得や、理論と実践のギャップを埋めることがむずかしい。
- 特に経験の浅いケア従事者にとって、認知症のある人の行動理由を理解するには言語的な情報だけではむずかしい。
超高齢社会を迎えている中、専門職はもとより、広く地域社会の人々が相手の内的な状況を想像し、より良い関係性を構築できる環境を創出したいと考えています。
PX体験学習の様子
2024年度
2024年度は、まずは、PX空間の再現度を高めるために、認知症当事者との共同創造を試行しました。また、没入型ケア映像を視聴している際の主観評定と生体情報から得られた客観データを組み合わせて分析することに加え、視線情報を活用してリアルタイムに知識をフィードバックすることの効果を検証しました。そして、XR 技術を用いた国内外の実践例を整理し、得られたエビデンスと残された課題を調査しました。
1. メタバースを活用したPX体験デザイン(認知症当事者との共同創造)
2023年度に基礎を開発した認知症当事者の行動の背景を考える想像力を向上するためにメタバースを活用したPX体験システムに対し、障害のバリエーションを増やす仕組みを開発し、さらに、認知症当事者と共同創造するための検討を進めました[廣部24, 廣部24, 廣部25]。空間内のオブジェクトがある時間をトリガに移動、色が変化する、物が出現するといった体験や体験者との距離に応じて表示される、消える、といった多様な症状を再現しました(図1)。
図1.PX空間に再現した障害。
左:扇風機のコードが蛇に見える、右:机の模様が顔に見えるパレイドリア。
これらの症状はナラティブ情報を参照したものの、細かい描写がないため、実際にナラティブが再現できているのかを認知症当事者とともに検証しました。具体的にはレビー小体型認知症当事者2名、アルツハイマー型認知症当事者4名に協力していただき、体験内容を評価しました。
その結果、再現した障害の9割程度で「実体験とは細部が異なる」と指摘され、ナラティブの正確な再現には当事者との共同創造が不可欠であると判明しました。
2. 体験時の行動理解と学習効果の検証
また、[山中 24,山中 24]では、療養型の病院患者へのケアを想定し、患者視点でケアを仮想的に体験する360°没入型映像視聴時の主観評定と生体情報(心拍と皮膚電気活動(EDA))によって、どのような視聴体験をしているかの検証を進めました。15名の病院の実験協力者に対してEDA等の生体情報と主観報告で得られた感情や共感性のスケールの相関を調査した結果、強い相関は認められませんでしたが、共感スケールの得点の高い体験者ほど生体情報の変化が確認されました(r=0.38)。また、客観的な情報を活用して学習に活かすための一環として、せん妄状態を学ぶための教育システムを開発し、その有効性を検証した。360°没入型映像を視聴する際の視線を手がかりに、観察領域が不足しているポイントを自動的に検知し、その点に関する知識をフィードバックしました。一般的な知識がフィードバックされるA群(3名)、臨床判断に係る知識がフィードバックされるB群(4名)に分けて、フィードバックの前後の知識を評価することでその効果を検証しました(図2)。システムは視線情報の入力結果をエキスパートの観察した視線情報の平均値と比較し、あらかじめ登録されたA群、B群にフィードバックするためのテキスト情報を表示するものです。
図2.視線情報を活用した不足知識のフィードバックシステム
3. XR 技術を用いた国内外の実践例の調査と研究課題
XR技術を活用したケアトレーニングの現状について調査し、現時点におけるさまざまな国際的な研究成果と課題についてまとめました。VRの教育利用においては医療・看護領域で活発になっており、例えば医師の手術トレーニングや看護のシミュレーション教育において積極的に活用され、医療知識の習得促進、臨床スキルや共感といったアウトカムが得られており、さらにトレーニングに対する満足度が高い結果が得られています。COVID-19の影響によって大幅に増加し、メタバースのムーブメントと連動してその増加傾向が維持しているようです。このような研究の蓄積を整理し、教育プログラムとして考慮すべき点を以下のように整理しました。
- リフレクションの設定:利他的な行動を促すこと、責任ある対応を強調するようなリフレクションの場を設定することが重要です。
- 体験シナリオの多視点化:ケア従事者、患者、家族の視点などを表現する複数の没入型シナリオを活用することで、利他的な反応を効果的に促進できることが示唆されています。単一の固定されたシナリオに依存するのではなく、多様な没入型シナリオを検証する必要があります。
単発の介入の限界:学習者(主に学生)に対して早期から繰り返し行うべきであり、理想的にはカリキュラムの複数の段階で組み込む必要があります。
また、設計した空間とアウトカムの関係もまだ検証が不十分です。現状のVR空間を活用した検証の中でも、臨床現場で実際にどのように有効であるのか、支援対象者のアウトカム調査の検証がほとんどなされていません。また、意思決定におけるいわゆる実践知の形成と活用においてどのように有効であるのかを検証する必要があり、意思決定や批判的思考が発現されるシナリオや評価方法の検証が重要です。
2025年度は、AI Avatar とのコミュニケーショントレーニング機能を充実させ、当事者としての一人称視点、ケア従事者や家族としての二人称視点、そして、その関わりを俯瞰的に観察する三人称視点を柔軟に組み合わせて体験するための仕組みを実現し、シナリオや利用するドメインを改めて検討した上で、その有効性を検証します。また、2D(ディスプレイ)による体験とVRによる体験の違いやVRの設計においてもその違いが生じるのかを生体情報を活用して評価し、体験時の状態を推定するための基礎データを蓄積することを予定しています。さらに、当事者との共同創造を円滑に実現するための環境を整備し、空間設計を加速させていきます。
2024年度の研究成果は以下のとおりです。
口頭発表
- 廣部敬太,小俣敦士,水野拓宏,村上佑順,石川翔吾:認知症当事者のナラティブに基づくPX体験空間の設計と実装,VR学会年次大会,(2024.09).
- 山中望,小俣敦士,香山壮太,菅家穣,村上佑順,石川翔吾:ケア教育における360°PXコンテンツ体験時の感情の主観・客観的評価,VR学会年次大会,(2024.09).
- 廣部敬太,小俣敦士,水野拓宏,村上佑順,三浦繁雄,樋口直美,石川翔吾:認知症当事者とのco-productionによるPX体験空間の構築,みんなのケア情報学会第7回年次大会(2024.10).
- 山中望,小俣 敦士,村上佑順,菅家穣,香山壮太,石川翔吾:認知症ケア教育における360°PXコンテンツ体験時の教育効果評価方法の検討,みんなのケア情報学会第7回年次大会(2024.10).
- 廣部敬太,小俣敦士,水野拓宏,村上佑順,石川翔吾:認知症理解向上のための当事者とのco-designによるPX体験空間の構築,研究報告高齢社会デザイン(ASD), 2024-ASD-32 (1), (2025.03).
学位論文
- 卒業論文 廣部敬太:認知症世界再現のためのVRを活用したco-design環境の構築と評価
2023年度
2023年度は、ケア専門職の実践スキル向上のために、XR 技術を活用した学習システム の構築と評価を進めました。XR技術の特長を活かして、現実では体験することのできない患者視点の体験(PX: Patient eXperience)が可能な空間コンテンツを開発し、特にケアプロフェッショナルにおいて共感性の向上が示される等のスキル習得に有効な結果が得られました。また、没入型映像における病棟でのケア体験を患者視点で体験することの効果を共感性や感情の主観評定とともに、生体情報の客観的データを組み合わせて評価するための方法を開発しました。
認知症当事者の行動の背景を考える想像力を向上するためにメタバースを活用したPX 体験システムを開発しました。環境のモデルと障害のモデル(認知症ナレッジライブラリーを参照)をシステムへ登録することで、多様な場における多様な障害を体験し、その体験を参加者同士で共有することが可能です。今年度は主に図1の赤枠について実施しました。本 システムを活用したケア専門職に対する教育介入では、共感性の向上が認められました。
一方、現場経験のない学生に対する教育介入では共感性が低下することが確認されました。心理学において共感は認知的共感と感情的共感に大別され、本研究で狙っている認知的 共感の向上にはこれまでの経験の影響が大きいことが様々な研究より明らかになっており、現実の経験と実質的な経験をどのようにデザインするかが課題となっています。また、体験できるコンテンツに限りがあったため、[廣部24]ではシステムを拡張し、多様な障害データと環境モデルを柔軟に追加・修正する機能が実装され、認知症当事者と連動して空間を拡張できるプラットフォームを開発しました。
2023 年度の研究成果は以下のとおりです。
口頭発表
- 山中望,村上佑順,宗形初枝,小俣敦士,石川翔吾:360°没入型コンテンツを用いた PX 体験による感情状態の分析,研究報告高齢社会デザイン(ASD), 2023-ASD-28(1),(2023.11).
- 廣部敬太,小俣敦士,水野拓宏,村上佑順,石川翔吾:認知症当事者のナラティブに基づくPX体験空間の設計と実装,VR学会年次大会,(発表予定).
- 山中望,小俣敦士,香山壮太,菅家穣,村上佑順,石川翔吾:ケア教育における360°PX コンテンツ体験時の感情の主観・客観的評価,VR学会年次大会,(発表予定).
学位論文
- 卒業論文 山中望:認知症ケアスキル向上のための没入型コンテンツを活用した共感性の評価




