選考委員特別賞
第10回 看護・介護エピソードコンテスト『かっこいい背中』
酒井 ニコさん

「かっこいい背中」小さい頃、それが私にとっての祖父の代名詞だった。私の祖父は地元の名士で皆から尊敬されていた。山奥の決して裕福とは言えない家庭で生まれながらも、学校に通いながら、木こりの仕事をして家庭を支えた。学業にも力を入れた。木を切り倒し、薪を割り、売りに出さなければならない。家で教科書を開く時間はない。祖父は薪を背負いながら、本を開いて歩き、勉強をしていたのだ。15歳の少年だった祖父が家庭の事情で高校に進学できないと担任の先生に伝えたとき、学校中の先生たちが学校一優秀な学生だった祖父が高校に進学しないことを惜しんだ。しかし、働きながら勉強を独学で続け、難関資格を取り、やがて起業した。小さな町は祖父の働きかけで大きく栄えた。診療所もまともになかった町に大きな病院ができた。現地の人たちの生活は一気に豊かなものとなった。その後、祖父は都市部に会社と住まいを移し、私の父が生まれ、そして、私が生まれた。私は祖父を思い浮かべるとき、いつも顔よりも背中が浮かぶ。私と過ごす時間を大切にしてくれていた祖父だったが、仕事をしている時間がずいぶん長く、オフィスに遊びに行っても、家に会いに行っても、机に向かって仕事をしていたからだ。服装にもこだわりが強かった祖父はいつもオシャレな背広を着ていた。見えるのはいつも綺麗な服に包まれた「かっこいい背中」だった。決して大柄ではなかった。むしろずいぶん、小柄な男性だった。周りの背の高い大人たちが祖父に頭を下げている。そんな祖父を心から尊敬していた。

ある日のことだった。その時期、私は浪人生を名乗って、家でゴロゴロしていた。いわゆるニートである。高校の級友たちは大学に行くなり、就職するなりしていまい、私は一人、取り残された。「久しぶりにおじいちゃんに会いに行って、お小遣い貰おうかな」そんなことを考えていた。すると、父と母が慌てている。母が言った。
「急いでおじいちゃんの家に泊まりこみして…」

そこから私の知らなかった事実が次々と伝えられた。なんと祖父は少し前に認知症の診断を下されていたというのだ。その症状は進み続けているという。私は怒った。そんな話を今まで聞いていない。なぜ今まで言わなかったのかと声高に言った。両親は浪人中の私を動揺させたくなかったとのことだ。しかも、今日、近所で祖父は転倒して救急車で運ばれたと。身内で体が空いている大人は私しかいない。老人ホームが決まるまでの祖父の介護は私が任せられた。

祖父が暮らす大きな屋敷に着いた。昭和の時代に建てられた豪邸で祖母が他界した今、祖父一人で暮らすにはあまりに広い家だった。病院から付き添いの職員さんに連れられて祖父は帰ってきた。私は祖父と久しぶりの再会を果たした。しかし、私はその弱り切った老人が祖父だとはとても思えなかった。意識はぼんやりとしていて一人で歩けず、口が常に開いている。こんなことを考えて本当に申し訳ないとも思ったが、はっきり言って、がっかりした。私の知っている祖父ではなかった。まるで「かっこいい背中」ではなかった。祖父は私が誰かわからず、たまに口を開くと何度も同じことを口走った。人生初の介護を行う間も、私は言葉にできないやるせなさを感じ続けた。介護をする人は特に排泄の補助が大変だとよく聞くが、私が最も辛かったのは祖父の体、祖父の背中を拭く時だ。細くて覇気のない背中。拭いている間も祖父は赤子のように泣いたり、言葉になっていない声を発したりした。家に説明に来た病院の職員さんから幼児退行が起きていることや意味のない奇声を上げることは聞いていたため、驚きはしなかった。ただ悔しかった。あの大人の強さや賢さ、優しさを背負っていたような背中はどこに行ってしまったのか。そんな思いだった。

それから数週間が過ぎた。背中を失くした祖父に背を向けて、私は祖父の持ち物の整理をしていた。今後、病院やホームに出すものや整理しなければならないものが多くある。青色の厚い表紙のノートが出てきた。何度も触った後があるのがわかり、かなり古ぼけている。私はノートを開いた。そのとき、すっかり冷めた私の目から一気に熱い涙が流れた。
「忘れたくない。ぼけたくない」

青い字でいっぱいに書かれている祖父の日記だった。祖父は私の知らないところで自分の老いと戦っていたのだ。
「今日、病院で認知症だと告げられた。自分だけはならないとずっと思っていたのに」

達筆だった字はだんだんと落書きのようになってゆく。それだけではない。そこには多くの人の名前とその人へのメッセージも書かれていた。祖父の息子である私の父やその妻である私の母へのお礼、先に天国へ行った祖父の妻である私の祖母へのまた会いたいという想い。私へのメッセージも綴られていた。
「人生で一番、大事なのは人の役に立つことだ。それだけはずっと持ち続けて欲しい」

昔、よく祖父が私に語ってくれていた話がその時、蘇った。その日は老人ホームの入所日だった。背中を洗う時間もなく、老人ホームの職員さんが家まで祖父を迎えに来た。私は赤くなった目で車いすの背もたれ越しの祖父の背中を見送った。

ホームのルールでなかなか祖父には会わせてもらえない。あと、人生で何度、会えるだろうか。たまに思う。もしかしたら祖父は最後、私に恩返しのチャンスを与えてくれたのかもしれない。祖父からもらったものの価値は計り知れない。それでも、最後の介護に真摯に取り組めば、少しだけでも私は返すべき恩を返せたかもしれない。

今では大学に進学し、福祉の仕事に就くことを目指している。私は祖父のように優秀な人間ではない。勉強もできないし、仕事もできない。人から尊敬なんて集められるはずがない。それでもいい。日々、目の前の課題に取り組み、人の役に少しでも立つことを目指せば、あのかっこいい背中に追いつけるような気がする。