選考委員特別賞
第3回 看護・介護エピソードコンテスト『むらかみさんでささえたい』 山﨑 緋沙子さん

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「いってきまーす。」
朝、玄関から出ると向かいの家の大きな窓から祖母が笑って手を振り、ご近所さんとお話ししていた隣家のおばさんから「いってらっしゃい」と声がかかります。ゴミ捨てに出てきた人や通勤中のサラリーマン、通学途中の子供達が家の前を足早に通り過ぎ、私もその流れに乗って歩きました。
神楽岡駅前の線路を渡ると、右手に大浦商店、左手には八百屋さんがあり、交差点の向こうには村上医院が見えます。小学1年生から中学3年生までの9年間、私はこの景色を見ながら通学しました。
看護学校進学のため一旦旭川を離れ看護師として数年働いた後、私はこの地に戻ってきました。神楽岡駅前は道路が拡張され、商店はなくなり、景色はすっかり変わりました。自宅の周辺を歩く人は少なくなり、向かいの家の窓から手を振ってくれた祖母も亡くなりました。隣家のおばさんは自宅から出ることも少なくなり、昔は綺麗に手入れされていたご近所さんの庭も鬱蒼と茂っている家が増えています。自宅周辺では子供の姿を見かけなくなり、日本の高齢化をこの地域でも感じるようになりました。その中で変わらずその場所にあった村上医院で私は看護師として働くことになりました。

「訪問看護ステーションやってみる気ある?」
子供の頃に通った村上医院で働き始めて半年たった頃、同法人の医師から1通のメールが届きました。
村上医院で外来・訪問看護師として働きながら、在宅支援の必要性を感じている最中のメールでした。
訪問看護は初心者だけど…やってみたい!!
気持ちを高ぶらせながら、この地域のことを大切に思い一緒に働く人を思い浮かべました。
同じ地域で育った幼馴染で看護師になった“亜矢”を誘い、「私たちにとって大事な人たちの看護をしたい。」「この地域の人たちを支えたい。」「病院から家に帰りたい人が帰れるような場所を。」「村上医院みたいに地域の人たちに必要とされる場でありたい。」と夢を語りながら、沢山の人たちのサポートを受け、このまちで「訪問看護ステーションむらかみさん」を開設することになりました。

訪問看護ステーションむらかみさんが始まってから数カ月たった頃、私の祖父が末期の肺癌と診断されました。

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