優秀賞
第2回 看護・介護エピソードコンテスト『そばにいてくれたらいいから』 稲葉 典子さん

「何もしなくていい、そばにいてくれたらいいから」
患者さんから、この言葉を私が最初に聞いたのは、今からちょうど20年前、がん専門病院で準夜勤をしていた時でした。膀胱がんで背骨に転移していた60代のその女性の患者さんは、個室で眠れない夜を過ごしていました。私が、深夜勤務担当への申し送り前のラウンドで病室に伺った際、家族への思いや孤独な感情を話してくれた後のことです。
準夜勤務の担当業務が終わると病室に向かい、「仕事しながらでいいからね…」という言葉に甘え、ベッドサイドに腰掛けカーデックスで記録を記載していました。ひと通り記録が終わったら、彼女はうとうとされながらも右手を布団から出してきたので、私はそっと手を握りました。
その間、何か会話をした記憶はありません。私も横でうたた寝しながら、ただすっと手を握り続けました。30分ほどして彼女の寝息を確認し、そっと手を離すと「ありがとう、もう大丈夫」と彼女は微笑んでくれました。

「もう少しいます」

当時の私は看護婦になって4年目、がんによる疼痛も強くなり、きっと彼女は辛い思いでいるのだろうと考えながら、「患者さんの思いに寄り添えた」という妙な満足感も得ていたように記憶しています。ただ、そのような私の勝手な自己満足が彼女に伝わり、「もう大丈夫」と言わせたのかもしれない、と最近では振り返るようになりました。
彼女は、それから2週間後に、一番彼女が気がかりに思っていたご主人に見守られて亡くなりました。

「何もしなくていい、そばにいてくれたらいいから」
20年前と同じこの言葉を、再び聞く機会がありました。ご自宅での看取りを自ら希望されている方で、訪問看護で関わり始めて1年半が経過した昨年の12月でした。70代の男性ですが、20年前の彼女と同じ、膀胱がんで背骨に転移して座ることもままならない状況でした。
訪問看護としての長い支援の中で、特定の信仰を持っているわけではない、タクシー運転手の仕事をしていた彼は、私によく哲学的な話をしてくれました。

ある日の訪問看護記録に、私は彼の話した言葉を記述していました。「人間の意識は、能動意識、受動意識、潜在意識に分けられる。能動意識がやられると自分のように足が動かなくなる。意識とは、はすの花や葉の下の部分、底辺には時間がある。花の部分は人間の情愛、慈愛にあたる」私は、下肢の浮腫へのマッサージをしながら、彼の話す言葉の意味を時々確認し、頷いて話を聴いていました。

その話に対する私のアセスメントは「ご自身の命についてどう考えておられるのか、スピリチュアルペインの部分までは掘り下げることができなかったが、この話題をトリガーにしていくことができる」と記述していました。看護職として20年以上働いてきた中で、スピリチュアルケアの実践をしているのだ、という自負と、その実践を言語化することで訪問看護師の専門性を見いだそう、と肩に力を入れていたように思います。それから、彼は訪問するたびに、釈迦如来の話や、日本と世界の個人主義、自由主義の違い、千利休の話などをしてくれました。

そのような経過の中で、私は2度目のあの言葉を耳にしたのです。
その後に彼はこう言いました。「年は越せそうだけど、この先長くない。40年かけて勉強してきたことを、今のあなたに話しても分からないと思うけど、あなたが40年経った時にも心のどこかで残ってくれていたらと思う。マッサージも何もしなくていい。あなたの時間がある時に来てくれて話を聴いてくれたらいいから」

その言葉を聞いてはっとしました。私が、20年前に経験し今振り返ると自己満足だったのでは、と思うような支援を、また繰り返しているのではないか、と自問しました。彼と彼の家族のために、訪問看護師としてできることは何か、それはそばにいて話を聴くこと、確かにそうかもしれません。しかし、彼との対話の中では、話を聴くことそのものも、何かをしたい、という自分本位の考えでは、とおこがましいことのようにも思えてきていました。ただ、無になって彼の話を聴き、彼が活きた証を心に刻む、彼が亡くなっても誰かの心で生き続けるんだ、ということを私は彼にフィードバックできていただろうか、と考えると、答えは彼の中にあることに思い至りました。

年を越して、喘鳴が強くなり少しずつ意識が遠のく中でも、「話してください。聞こえています。」と彼は対話を望まれました。私は、今までに彼が話をしてくれた、意識や主義について、問いかけるように話をしました。そして2月初旬、ご家族に見守られながら永眠され、エンゼルケアで訪問した際は本当に穏やかなお顔をされていました。

「何もしなくていい、そばにいてくれたらいいから」と一介の看護師である私に言ってくれたお二人に、最期の時を一緒に過ごさせていただいたことへの感謝を伝えたい思いでいっぱいです。もし、伝えることが叶うのならば、お二人に尋ねてみたいことがあります。

「私はお二人がこの世で確かに生きた、という証人の一人としてその役割を果たすことができたでしょうか。本当に心を傾けて思いを拝聴することができていたでしょうか。看護師としての実践という、よこしまな気持ちを感じさせずにそばにいることができていたでしょうか。」

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