優秀賞
第2回 看護・介護エピソードコンテスト『かざぐるま』 三島 裕子さん

高校を卒業して特別養護老人ホームに就職した私は、仕事に慣れるのに必死だった。毎日が失敗と発見の連続だったあの頃、新しく入所されてきた一人の女性利用者様がいた。担当の階ではなかったが、全階共同で使う浴室で見かけることがあり、見た目にも可愛らしい方で、とても職員に気を遣い遠慮されている様子が見て取れた。脳梗塞の後遺症で片麻痺ではあったが、ほとんどの生活動作は自立されていた。

ある日、入浴介助をさせて頂く機会があった。「まだ不慣れなので、気づいた事があれば言ってくださいね」と前置きをして介助にあたった。
更衣中も洗身中も入浴中も、Oさんはとても優しく色々な事を話してくれた。娘時代の事や結婚してからの事、ご家族の事や脳梗塞になってしまってからの事など。
私が遠目に見ていたOさんは、少し無口な印象があったけれど、その日はとても饒舌だった。今思えば、緊張していた私を気遣ってのことだったかもしれない。でも、その時の私は、ただ自分のことを話してくれて笑ってくれて「ありがとう」と言ってくれたことが、ただただ嬉しかった。私はOさんの事が大好きになった。

それからというもの、休憩時間や夜勤明けで退社する前にOさんの居室へ遊びに行き、5~10分会話をするのが楽しみのひとつになっていた。Oさんが、私の担当している階に下りてきてくれ、話しをすることもあった。仕事で疲れている時も、ちょっと落ち込んでいる時も、顔を見るだけでもホッとして、他愛のない話しをするだけで気分が晴れた。私のオアシスだった。

そんな日々が3カ月経った初夏。
ある日の夜勤中に折り紙で風車を作った。翌朝になり、その風車を手土産にOさんの居室を訪ねた。いつものような優しい笑顔が待っていた。風車を渡すと、とても喜んでくれたのを覚えている。居室の窓からベランダに出ると、風を受けクルクルクルクル…と風車は気持ちよさそうに回った。上手に作れた事も嬉しかった。「明日は休みだから、また今度ね」別れを告げ、自宅に帰った私は夜勤明け特有の強烈な睡魔に襲われ眠りに落ちた。
目が覚めると夜中。携帯電話の着信を告げるランプが光っているのに気が付いて、着信相手を確認すると、今日夜勤入りしているはずの先輩からのものだった。慌てて掛けなおすと、予想だにしていなかった内容に言葉を失った。

「明けなのにごめんね。実はOさんが亡くなったの。あなた仲が良かったから連絡したほうがいいと思って。明日休みでしょ?明日の朝には出棺だから、顔を見たいならおいで。」
寝ぼけた頭では、すぐに理解が追いつかなかったが、電話を切ると着替えをして施設へ向かった。車を走らせている間も、“まさか”という思いしかなかった。まだ就職してから、誰かが亡くなったことがなかった事もあってか、まったく現実味を帯びてこなかった。
施設に到着すると、慌ててOさんの居室に向かった。ベッドの上に横たわるOさんは、すでに看護師さんからのエンゼルケアを受け、化粧も身支度も整えられていた。その温かさのない顔を見たとき、やっと実感が湧いてきた。

――――――――――――あぁ、もうお話しできないんだね。

瞬間、涙があふれてとまらなくなった。顔も手も冷たくて、通いなれた居室ですら冷たく感じた。どのくらい泣いただろうか、控えめなノックのあと居室の扉が開き電話をくれた先輩が入ってきた。何があったのか問うと、「ポータブルトイレから立ってズボンを上げようとした時に、バランスを崩したのか前へ転んだみたい。巡回で見回ってきて発見した時には、もう…」先輩の赤く腫れた目に、また涙があふれてきた。

食事も着替えもトイレも移乗も、いつもちゃんとやれていたのに、どうして今日は転んじゃったの?体調が悪かったの?足元が滑ったの?色んなことが次から次へと頭に浮かんでくるのに、言葉にはならなかった。

「枕のとこに、あなた宛ての紙が置いてあったよ」
その言葉に促されるように枕元を見てみれば、黄色い広告用紙が置いてあった。その裏には、利き手ではない手で頑張って書いてくれたであろう俳句が残されていた。

風車 やさしき人の プレゼント
日毎眺めて 心やすらぐ

風うけて くるくるまわる 風車
造られし人の 思いをこめて

あれから11年ほどの歳月が過ぎ、私も30歳を迎えた。
私の部屋には、今もあの黄色い広告用紙が額に入って飾られている。今でも鮮明に蘇るのは、Oさんの優しい笑顔とクルクルまわる風車。
Oさんを通して、初めて“死”を身近に感じ実感したことで、一緒に過ごせる時間の尊さを思い知った。あの時から仕事に対する姿勢が変わったと思えるのは、今だからこそ分かるものなのかもしれない。『明日また会えるとは限らない。今日が最期かもしれないと思って接しよう』
あの日そう心に決めた思いを、今までも、そしてこれからももち続けていきたいと思う。

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