第2回 看護・介護エピソードコンテスト『地域のつながりが生んだ支援』 川手 弓枝さん
今から十年余り前、遠方で市町村保健師をしていた私は、おひとりさまの三十路女。父親のがん闘病生活と介護のため故郷に戻ってきた。懐かしい友人達は子育て中、毎日育児に忙しい。「子どもが言うこと聞かなくてさ~もう、たいへん!」と言う声は生きる力に満ちあふれていて、なんだか眩しい。私の周りで、親の介護をしている人はまだいなかった。この時、親の世代は50~60代で、公園ではかわいい盛りの孫と手をつないで微笑む姿を見かけた。生死をさまよう父とは、まるで別世界の出来事だ。久しぶりの故郷は、天国と地獄の分岐点だった。
知り合いからは、「保健師なんだから、ちょうどいいじゃん、がんばってね」と応援メールが届いた。仕事柄、周りからはちょうどいいように見えるのかな。“あなたはひとりでも大丈夫よね”と突き放されたようで心細くなった。親が病み細る姿・・・ 資格が有ろうと無かろうと、悲しいのは同じなのに! そう叫び出したいのをグッとこらえた。
仕事では保健師として地域の人々を“支援する側”、プライベートでは家族介護者として“支援を受ける側”、私はこの2足のわらじを履くこととなった。
帰郷後すぐ、在宅介護支援センターに再就職をした。65歳以上の方のお宅を訪問して高齢者ひとりひとりの生活状況を確認する、そして健康に過ごし安心して暮らせるように支援する業務(高齢者実態把握調査)に就いた。以前は、母乳の匂いのする新生児を訪問していた。毎日高齢者の方を訪問してお話をじっくり伺うことは、自分にとって驚きと発見の連続であった。高齢者の話の中には、地域保健事業のヒントがたくさん詰まっていた。
農家をしている80代の女性・Aさんは、旦那様を亡くされてからひとり暮らしだ。お話を伺っていると軽度の認知障害がみられた。離れて暮らす息子さんから、「家に来た人には、用件をノートへ書いてもらうように」と言われているそうだ。ノートの最初のページには、「母は少しもの忘れがあるため、御用のある方はこのノートに記入をお願いします。私が月に何回か参りますので、母が忘れていたら対応致します」と息子さんからのメッセージが書かれていた。そこには組合長、民生委員、農業委員、社会福祉協議会の方など、訪問した方々が日付・訪問者名・用件を記していた。
「保健師さんも、これ(ノート)書いて。わし(私)すぐ忘れるから、よく息子に怒られるんな。でもなぁ、これ作ってからは安心よ」とおっしゃって、ノートを手渡された。「わしに似ず賢い息子で、いい子なぁ」と笑った。そのノートは、“Aさん” と “遠くから母親を見守る息子さん”、両者の絆が具現化したような存在に感じられた。後日、ノートを介して私の訪問も息子さんに伝わった。息子さんから緊急時の連絡先を知らせて下さり、そのノートは遠方の家族と連携を取る連絡帳として大活躍した。その連絡帳は親子の絆だけでなく、“Aさん”と“地域の人々”をつなげる絆にもなっている。素晴らしいアイディアだと感動した。それで、Aさんのノートのことを心ひそかに、『絆の連絡帳』と名付けた。
高齢者の方はゆっくりとしたスピードで何回も話をくり返されるので、どうしても訪問時間が長くなる。しかし、そこには学ばせていただくべき要素がぎっしりと詰まっているから、訪問するたびに私の心は突き動かされる。昔の刑事ドラマに「刑事は足で稼ぐものだ!」というセリフがあったが、保健師も地域を訪問して“足で稼ぐ”重要性を学んだ。実際に訪問のため地域へ足を運ぶと、ひとりひとりのお顔がしっかりと見えた。地域の人同士のつながりがわかるようになり、地域の中に在る様々な絆を感じた。地域の人々への理解が深まると、その地域が抱える介護問題などの課題も浮かび上がってきた。仕事を介して、私自身も地域とつながっていることを実感するようになった。