大賞
第7回 看護・介護エピソードコンテスト『「つなぐ」を強く、笑顔のために』 小松崎 潤さん

「最期は家族に囲まれて逝きたい」

毎日口癖のように語る。その女性は七十九歳のミエさんだ。ミエさんは昨年腸閉塞の手術をし、以来食が細くなった。次第に寝ていることが多くなり、ついに三月には延命か自然な死かの選択を迫られた。ただ、ミエさんは「延命治療は望まない」という意思カードを持っていた。だから娘さんもそれを尊重した。「残された母との時間を悔いなく過ごしたいと思います」と言って。

しかし、新型コロナウィルスの蔓延によって突如面会は禁止。現場は混乱。ご家族は不安に陥った。

「死に目にも会えないんですか?」

電話口で娘さんが激昂する。ベッド越しではミエさんが「なんで今日も来ないの?いつ来るの?」とくり返す。私は戸惑った。高齢者に会えない理由を説明するのは難しい。だけどいつ会えるかを伝えるのは、もっと、難しい。

それからというものミエさんは私が声をかけるたび手を差し出すようになった。恐らく握って欲しかったのだろう。しかし、感染リスクを考えたら、どうしても躊躇ってしまった。次第にミエさんは常に暗い表情で毎日を過ごすようになる。食事もほぼ摂らず、声掛けにも応じない。命のための隔離が、命を脅かす現実。もうどうしていいかわからなかった。

そんな時、上司から「私たちの仕事は介助だけではない。コロナ禍だからって心のつながりまで奪っちゃいけないよ。それは命綱みたいなもんだから」と助言を受けた。確かにそうだ。手を握る行為。これは一見すると必要のない行為であり、感染リスクもある。しかし心が生きるためには、きっと、必要な行為。

「ミエさん、どうですか」

私はそっと手を握った。ミエさんは少し驚き、だけど嬉しそうに握り返した。その表情を見るなり安堵し、私は胸が熱くなった。

「家族に会いたい」

数日後心を覗かせるようにミエさんは言った。

しかし、緊急事態宣言が解除されたにも関わらず、面会禁止は延長された。

「なんでですか!感染者数は減って、宣言も解除されたじゃないですか!」

たまらず会議中に声を荒げると「うちは高齢者を預かってるんだ!外からウィルスを持ちこまれたら即死だぞ!謹みなさい!」と一喝されてしまった。

なんとか家族に会わせたい。

その一心で私はオンライン面会の企画を会議で通した。

「ユキコ!」

久しぶりの『再会』に喜びを爆発させたミエさん。一方娘さんも「母ちゃん!もうそんなに痩せて!しっかり食べてるの?」と声を詰まらせた。たった十分の面会は呆気なくも濃厚な時間。面会後、娘さんは「こちらが元気をもらいました」と笑い、ミエさんも「もうちょっと太らないと娘に心配されちゃうわ」とはにかんで見せた。やっぱり、互いが、命綱なんだ。

だけど六月。緩和病棟に入院中のミエさんのご主人が亡くなった。そのことを伝えるとミエさんはショックを受け「家に帰りたい」と言った。死に目にも会えず、葬儀にも参列できなかったミエさんの無念は計り知れない。

そこで私は上司に相談し、ミエさんと『一緒に』墓参りをすることにした。テレビ電話で墓参りの様子をミエさんに伝える『オンライン墓参り』だ。その日、私はご主人のお墓のある山形県高畠町に出向いた。そこは実に美しい町だった。沿線には七百本の桜が咲き誇り、空には漆を流したような雲が浮かぶ。何だかまるで天国。

「ミエさん、今からお墓参りをしますよ」

お墓に向かって一礼し、まずは墓石にお水をかける。ミエさんもその様子を固唾を呑んで見守った。だが、墓石に刻まれたご主人の戒名を見るなり「本当に死んじゃったんだねえ」と声を震わせた。言葉がなかった。ひと通り墓石を拭いたあと、ご主人の好きだったどら焼きとマーガレットを供えた。これはミエさんのリクエストだ。思えばご主人はよくミエさんにマーガレットを贈り、入院中もそれは続いた。花言葉は『希望』。つまりこの花はご主人の愛の代弁者だった。最後にお線香を炊くと「あなた、ありがとう。もうすぐ私も逝くからね。それまでもうちょっと待っててね」とミエさんは語りかけた。

亡くなる二日前。死期を悟ったのかミエさんは私にこんなことを言った。

「私ね、こんなに家族と会えなくなったのは生まれて初めてだったの。ぜんぶコロナのせいよ。でもそんな時に限って思い出すのよね。家族と過ごした人生。そこでかけてもらった言葉。してもらったこと。どれも当たり前じゃなかった。ありがたいことだった」

ミエさんの瞳が徐々に潤む。

「お墓参りができたこともそうよ。画面越しでも『ありがとう』が言えたことは私の救いだった。死に目には会えなかったけど幸せ。だから今はあなたに感謝してるの」

この日私たちは最後の握手を交わした。やわらかくて、やさしくて、温かい手だった。

二日後、ミエさんは天国へと旅立った。電話越しに響く娘さんの「母ちゃん、ありがとう」の声を聞きながら。

コロナ禍の今、感染防止の観点からミエさんのように思い通りの最期を過ごせない方は多い。面会一つとっても満足にはできない。

しかし一人一人の命を救っている立場から見ると、その「一」(いち)がとにかく重要だと気づかされる。その一という数字の背景には、一人の命、一人の人生、そして、その人と家族の物語というのが背景にある。だからご利用者の想いをつなぎ、家族の声をつなぐことは、みんなの命を救うことにつながる。誰もがみんな命綱。私もその一つになりたいし、誰かを笑顔にできたら、もっと、いい。

まだまだ終わりの見えないコロナ禍。だけど私の挑戦も終わらない。ゴールは想いをつなぐことじゃない。その先にある笑顔だ。

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