優秀賞
第7回 看護・介護エピソードコンテスト『届け! 最後で最高のピース』 中山 恵美代さん

「わーお父さん凄い、一番高くピースしてるよ!みんなもーハイチーズ」

父のベッドの周りにみんなが集まった、たった10分の短い撮影会。

私たちはその時、確かに、父の命が力強く燃える瞬間を見た。

それは、カサカサの倒れた木みたいな身体の、どこにそんな力が宿っていたんだろうと思う程、不思議な力で。最後の力を振り絞るって、まさにこうゆう事なんじゃないかなぁと思える、気高く美しい立派な命の姿だった。

父は胃癌だった。長くは生きられない事をわかって病気と共に過ごす余生って、どんな気持ちだっただろう。「もう入院はしたくない」と懇願され、色々不安はあったが、家族で介護チームを結成した。

1カ月入院した父が、自宅に戻って来たその日から瞬く間に始まった初めての介護。帰って早々、父はおしっこを漏らした。動揺する父と慣れない私たち。フォローがとってもぎこちない。右も左もさっぱりわからない。「そっか、まず介護申請するのか」ケアマネージャーさん?ヘルパーさん?手すりをつけたり、介護ベッドを借りたり。「ヒェーこんなに色々あるの?」次々の打ち合わせ、契約、印鑑、書類の山!もう高齢の母は大パニックだ。介護食、大人用オムツ、便秘、腰痛、頻尿。いっぱいいっぱいの私たちに追い討ちをかけるような父の頻尿。まるで「トイレに行く事」が仕事みたいだ(それも、付添い付きの仕事)。何しろ大変だったのは、オムツを嫌がり、何故か夜になると、30分ごとにトイレと言う。母はすっかり疲弊し、夜は、私と高校生の息子が交代でトイレに付添うことにした。

夜、危なっかしく起き上がりゆっくりゆっくりトイレに向かう。まるで山登りみたいで一歩が長い。便座に座る時、立ってベッドに戻る時、慎重に膝をガクガクしながら杖をつき一歩一歩進む。まるで命がけのトイレだ。かなり体力も消耗したはずなのに、父はどうしても、自力で行きたかった。力を振り絞る姿は時に煌々しく、真夜中、そんな父の「諦めない後姿」を私達は何度も見た。「トイレはまだ俺は自分の足で行けるんだ!」頑固に威張って、ホント嫌になっちゃうけれど、カッコいい。「排泄」という最後のお仕事で、私たちに生き様を見せつけているかのようだった。

そんな父の姿は、私たちの「介護」に対するイメージを変えた。かつて、何も知らず、凝り固まった偏見から「介護って大変そう、下のお世話なんて絶対無理」「仕事休めないし!そうなったら、病院や施設に看てもらおう」。それが家族一致の意見の筈だったのに…。

何故だろう、やってみたらそれは、辛さより喜びや感動の方が多かった。父の「自力で諦めない姿」に私たちは逆にパワーをもらったし、カッコいいじいちゃんも、ウンチを漏らすじいちゃんも、父の最後に向かう全ての営みが、当時大学生や高校生の孫達の目に、多分強烈に焼き付いたんじゃないかな。そんな気がする。いつしか父を囲んで介護家族の笑顔は増えた。かけがえのない日々。

そして10月あの日が来た。「ちょっと早めのメイちゃん成人式ミニ撮影会」

父を元気づけたかった。いや、元気づけるのはもう無理かもしれない。正直、その日まで父の生命が持つか不安で、「どうか振袖の日まで生きて下さい」と毎日心でそっと祈った。もうほとんど何にも食べていない。薬を飲む水さえ苦痛のようで、点滴をしてもらい、細い命の線をなんとか繋ぐ、ベッドで寝て過ごす日々が続いた。ところが撮影会の前日は、自分で髭を剃り、何故かカレーを食べた。「明日はメイちゃんが振袖着てくるからね。」母が言うと、ゆっくりうなづいて「楽しみだ」と笑った。

当日、成人式の可愛い孫が到着。鮮やかな青の絞り柄に、花の刺繍の入った素敵な振袖。金の帯、赤い髪飾り、薄曇りだった空が一瞬パーッと晴れた。「じいちゃん、私、晴れ女なんだよ」メイが言うと、手をギュッと握って、「綺麗だ綺麗だ」と何度も手を握って笑った。そして私が父の背中をさすったら、「あんたじゃだめだ、しんのすけの手がいいなぁ」と、介護をいっぱい頑張った高校生の彼を指名した。私は、あの大変だった夜中の付添いトイレが懐かしく、感謝で胸が一杯になった。

撮影会を終えて翌日、父は静かに息を引き取った。まるで、この日までは生きる!と自分で決めていたみたいに。大好きな孫の振袖姿を目にしまって、天国に旅だった。

「いい額縁に入れて飾ってくれよ!」父が私の手を握って最後に発したのは、こんな言葉だ。額縁の写真を家族で見ながら「じーちゃんが、本当に一番高くピースサインしてるね、最高!ピースって、まさに平和じゃん。」そう言ったのは、じーちゃんが大好きだったメイだ。彼女はあれから介護士となった。「今日は、排泄のお世話を先輩に教えてもらったよ!」と、嬉しそうに話す。私は「辛くないの?」と聞くと「おじいちゃん、おばあちゃん達に可愛がってもらって、ありがとうって言われ、褒められちゃうんだよ、それでお金貰えるなんて、凄いよ」と無邪気に笑う。そして、介護を頑張った当時高校生だった息子は、今、作業療法士の学校に通っている。

あの介護の経験が、彼らの人生にまで影響するなんて思わなかった。

思いおこせば、そりゃあ泣きたい時もあって、辛くなかったなんて嘘だ。でも、あたふた始まった私たち介護家族に孤独は一切なかった。父のケアだけじゃない、心折れそうな私たちを、最後の最後まで、助けてくれた彼らがいたから出来たんだ。ありがとうケアマネさん、ヘルパーさん、リハビリさん、訪問看護師さん、父を囲む温かい沢山の手。

命を終えるまで続く人間の営みを、最後まで尊重するケア。全心身で行う営みの全てを優しい気持ちで受け止める彼らを、ずっと見ていたから思う!

あ、そうか、そうだったんだ。

「おとうちゃん、あの最後で最高のピースは介護のみんなに伝えたかった、ありがとうだったんだね。」

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