選考委員特別賞
第7回 看護・介護エピソードコンテスト『車椅子の看護師 ~高尾山のある町での育みあい~』
櫛田 美知子さん

横浜みなとみらいの海風に吹かれながら、無性にあの町の人々に会いたくなる。横浜に来て三年。みんな元気かな?どうしているかな?コロナでも大丈夫よね、心繋がっているから。町の名は「高尾山のある八王子市浅川地区」事故で突然車椅子生活になり、仕事のために故郷岐阜を捨て、上京した私にとっては第二の故郷、八王子。そこで私は、「地域包括支援センター高尾」で看護師として五年ちょっと働いていた。高齢者の相談業務や介護予防などを担当した、「車椅子の看護師」である。

手動装置付きの車や車椅子で地域に日々出て行った。もちろん町は道路や建物など不便なこともあったが、出ていくのが楽しかった。いろいろな出会いやコミュニケーションがあった。私の仕事はチーム力、地域力が大切だった。医療・介護・地域の連携そのものだった。そして浅川地区社会福祉協議会(社協)と月一回の情報交換会を始めたり、それをきっかけに私のためにスロープが用意されたりした。そんな関係が深まりある時、民生委員さんが「毎年小中学校の車椅子体験を手伝ってきているが、自分たち車椅子に乗ったことないんだよね。櫛田さん」と。「それじゃ、今度大人も車椅子体験を実際やってみましょうよ!まち歩きを!」すかさず口にした。胸がワクワクするのと同時にジワーと目頭が熱くなった。この地域に溶け込んできた幸せを感じた。

町歩きの日は顔なじみの方々ばかり二十名余。元気な高齢者が多かった。「こんなに道って傾いていると思わなかった!あれれ?まっすぐに進まないよ。けっこうきついよ!ちょっとした段差も大変だ。これは声かけて手伝わないかんな。今から練習しておかないといかんな、年だから・・・」真剣な表情の合間に笑顔が行きかう。こうして小中学校の車椅子体験を毎年手伝っている地域の方々が、自分たちも体験しサポーターとしてより具体的に学校と協力しあえる関係もできていった。

しばらくして私の職場に「車椅子で楽しむ高尾山」という研修案内がきた。飛び上がるほどうれしかった。町の中だけでなく、この町にある有名な高尾山で誰もが楽しめるためには、車椅子で登ってみてどんな配慮や手助けができるかみんなで考えようというものだった。

この高尾山のある町に長年住まわれている方々が、車椅子体験からこのような思いを抱かれたのだった。その少し前に、私はプライベートで介助者と一緒に電動車椅子で高尾山に登ってみた。その時、電動車椅子のバッテリーがかなり消耗してしまい困ったことを地区社協の方に話したことがあった。すると電動車椅子の充電器の設置が、個々のご厚意で茶店や駅や薬王院など、十二か所に無料で設置されることになった。ひとりひとりの優しさで。

この町の人々の繋がりや風土がたまらなく好きになった。仕事で高齢者の相談をしていると「昔は高尾山によく登ったものだ。今は不自由になった体だから無理だけど。」このような言葉もよく聞かれた。「私は孫と一緒に車椅子で薬王院にお参りに行けますよ、私もよく行っているから」と返したりもした。「認知症があっても家族や仲間と一緒に行こうよ」と誘ったこともあった。この土地ならではの繋がりの安心と信頼。研修の時は薬王院で昼食。座敷に赤い毛氈が敷かれお膳が並んでいる。ふと見ると私のお膳は四個積み上げてあった。車いすの高さに合わせてだ。皆さんが察して工夫をしてくださったのだった。

この愛情と工夫が忘れられなくて、私は小中学校の車椅子体験の時、毎年三十分間私の家族や障害のこと、そしてこの町を歩く時に感じることなどを伝える。そして、この高尾山の町のやさしさも必ず写真で紹介して自慢する。小中学生もみんなの親もこの町を作っている大切な人々だから。そして地域のおじいちゃんおばあちゃんまで毎年小中学生の車椅子体験を手伝っていること。この時間、この空間もやさしい地域そのもの。

私の話も七年経つと、母親の視点だけでなく、二歳の孫の話も加わるようになった。地域の皆さんとお互いの近況を話しながら、毎年の学校での車椅子体験は幸せな振り返りと、やさしい町の実感を再認識するひと時である。生徒たちからの感想も温かい。触れ合うこと、車椅子の体験を通じて、気が付くこと、できることがあること、勇気を持つことなどやさしい言葉がいつも並ぶ。そしてある時、こんな感想をもらい言葉に詰まった。

「櫛田さん、二十五年前怪我をした時、寂しかった娘さんたちにいっぱい接してあげてください」と。私が突然怪我をして重度障害者になった時、シングルマザーでもあったとみんなに語った。一・四・七歳の娘がいたと。

こんなやさしい生徒の気持ちをもらった幸せな私と、地域と共にこんなやさしい子供たちを大切に育てていく地域のやさしさもまた必要だと思った。

横浜に引っ越しても、職場を離れても、毎年この町から「車椅子体験」に必要とされることを感謝するばかりである。看護師であるとともに人の心のやさしさでコロナからお互いをいたわり守り合う社会になっていくことを願うばかりである。

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