優秀賞
第7回 看護・介護エピソードコンテスト『旅立ちの時に、私の勤務を選んでくれた』 蛭田 えみさん

看護師になって初めての夜勤の日、患者さんが3人も亡くなりました。病院で勤務をするということは、人の死に直面することだとは思っていましたが、かなり衝撃的な体験でした。その後も、私の勤務の時には、誰かが亡くなることが多く、先輩には「あなたと夜勤だと誰か亡くなりそうで嫌だ。」なんて言われるようになりました。

新人で自信のなかった私は、私のせいで人が亡くなるんじゃないかというような思いを、抱くようになりました。今のように、モニター管理がすすみ、自動で血圧を測ってくれるようなことはなく、時には、緊張している自分の鼓動が邪魔をして、血圧を測るときの聴診器の音が、聞こえずらかったこともありました。

2年めになってからも、同じような状況は続き、私のせいで、誰かが亡くなることという思いは強くなるばかりでした。そのうち、自分が人を殺してしまうというような、苦しい思いを持つようになりました。先輩に相談しても、納得できるような答えはなく、結局自分で抱えていくしかないと感じていました。そんな状況に慣れていきながらも、釈然としない思いはいつも付きまといました。

その日は深夜勤務。重症の患者さんのおひとりは、私の受け持ち患者さんでした。入退院を繰り返し、長い経過だったので、患者さん自身とも、ご家族とも親しい間柄になっていました。

予想通り、明け方になるにつれ状態は悪化し、ゆっくりと最期の時を迎えようとしていました。余命告知をされていて、奥様も受け入れておられるようで、動揺することなく、ゆっくりと見守られていました。そんな時、奥様がこんな風に言ってくださったのです。

「主人はあなたのことを信頼していたから、きっと旅立ちを見守る人に、あなたを選んだのね。」

私は、多くの患者さんの最期に立ち会いながらも、そんな風に思ったことはありませんでした。何とも言えない感覚にとらわれながら、徐々に最期に向かう患者さんと時を共にしていました。その方は、朝日が昇るのを待つかのように、旅立っていかれました。

後日、奥様がご挨拶に見えました。その時、私は、今まで自分の勤務で人が亡くなることが多く、自分のせいなんじゃないかと思っていたことを、うちあけました。すると奥様は、こう声をかけてくださいました。

「寿命は誰かのちょっとした行動に、左右されるものじゃないと思っているのよ。誰が悪いわけじゃなくても、人は亡くなる。みんなあなたの勤務を選んで旅立ったのね。」

それからの私は、どこか吹っ切れたような気持で、勤務をするようになりました。相変わらず、私が勤務の時には、人が亡くなることが多かったけど、悲観的な気持ちはありませんでした。

「旅立ちの時に、私の勤務を選んでくれた。」

素直にそう思えるようになっていたのです。それからは、誰かが亡くなるときにも、感謝にも似たような気持ちが芽生えるようになりました。

看護師という仕事は、人の死に関わる職業です。死を意識する状況だからこそ、生きるということも真剣に考える機会を与えられるのだと思います。

新人看護師だったころから30年以上の時が過ぎ、両親を見送って、自分の人生の最期についても、考えるようになってきました。人生の締めくくりの大切な瞬間を、どのような環境で過ごすのだろうと思いながら、残された人生を、精一杯生きていきたいと、改めて感じるのです。

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