大賞
第2回 看護・介護エピソードコンテスト『地域のつながりが生んだ支援』 川手 弓枝さん

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ケアスタッフの皆さんに困ったことがあれば、「今日はこんな様子で、こんな時に困りました。他のスタッフの方はどうしていますか?」という感じで連絡帳へ記入してもらった。困っているからこそ、みんなで共有して知恵を出し合おうと思った。各ページに縦線を引き、欄を4つ設け、①日時 ②サービス名・担当者名 ③本人の様子と困ったこと ④対応策 と4項目記入してもらった。④対応策には、他のケアスタッフや家族介護者から「自分はこう対応しています」といったアドバイスや、「こんな風にしたら、今日はうまくいきました」といった体験談を記入してもらった。看護・介護・リハビリなど各ケアスタッフの専門性や経験をもとにして、お互いにアドバイスし合うようにした。

毎回連絡帳の記録をお願いすることは、ケアスタッフの負担を増やすことになる。私達(要介護者・家族介護者)の介護負担額は増えるが、各ケアの単位数を増やしてもらうことで連絡帳を書く時間を確保してもらった。ケアスタッフ皆さんが根気よく連絡帳を続けてくださったおかげで、バラバラとしていた支援チームがひとつにまとまっていくのを感じた。連絡帳を続けていくと、たくさんの困りごとの中に共通した課題が見えるようになった。ケアマネジャーさんも連絡帳を見るようになり、「共通した課題をもとに居宅サービス計画を立てる」という流れが出来上がった。看護・介護・リハビリなどのケアスタッフ達が連絡帳を介してつながり、ケアマネジャーもいっしょに共通の課題を見つけ、関係職種が連携して支援をしてくれた。連絡帳は何冊にも増え、途中でメンバーが交代しながらもケアスタッフの連携は続いた。すると、ケアスタッフ・父(本人)・母と私(家族)との間にあった溝が徐々に埋まっていき、新しい関係性が築かれ始めた。

自分の心の殻に閉じこもった父は、薄皮を剥ぐように少しずつ、長い時間をかけて支援する必要があった。次から次へと困難が生じて、気苦労は絶えることが無かった。それでも5年後、父は笑顔を取り戻すことができた。ほんの短い期間だったが、もう一度、家族とそして支援し続けて下さったケアスタッフの皆さんといっしょに、笑い合えた時期があった。その後寝たきりになってからも在宅で暮らし、「生きていてくれてありがとう」と感謝の気持ちをこめて大切な父を抱きしめることができた。そこには要介護者・家族介護者・ケアマネジャー・ケアスタッフ、みんなで10年かけて築き上げた「絆」があった。『絆の連絡帳』が、在宅介護をする私達をつなぐ『本物の絆』になっていた。その中味は、困難に目を背けず根気よく支援し続けて下さった皆さんの愛と努力にあふれていた。在宅介護とは、地域で生活する中で生まれる絆のひとつだと感じた。

そういう日常が送れたのは、在宅介護において看護・介護・リハビリ・ケアマネジャーなど、多職種のケアスタッフが連携して支援してくれたからだ。要介護者が話せないと、本人の意思の確認は難しい。『本人の意思を尊重すること』とは、言葉を一言一句正確に理解することばかりではないと感じた。本人が笑顔を見せてくれ、生きていて良かったと実感してくれる日々の積み重ね、そうした日常生活そのものこそが、その人の意思が尊重されている状態ではないかと思う。たとえ寝たきりになって言葉は通じなくても、ケアしてくれる人との間に絆があれば、本人の意思を尊重した生活は続けられるだろう。寝たきりになっても家族の大黒柱として懸命に生き抜いた父の背中が、2足のわらじを脱いだ私にそう教えてくれた。

振り返れば、保健師の時にAさんから学んだ“絆の連絡帳”がヒントになって、家族介護者となった私を助けてくれた。ひとりの人間が、支援する側になったり支援を受ける側になったりして、人生のどこかでつながっている。どちら側であっても、様々な絆を介してつながっていく。

在宅介護とは、地域で生活する中で生まれる絆のひとつだ。支援を受ける側の要介護者は、病気や障がいを抱えながら“地域で生活する人”である。また、支援する側のケアスタッフも、仕事をしながら“地域で生活する人”である。支援を受ける側と支援する側、どちらの立場にいようとも私達は、絆を介してつながり地域の中で生活している。たとえ寝たきりで言葉が話せなくても、その人の意思が尊重され人生の最期まで安心して生活できる絆がある、そんなつながりのある地域在宅介護支援を目指して今後も尽力したい。

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