大賞
第6回 看護・介護エピソードコンテスト『この世界は儚い、だから美しい』 中島 圭佑さん

あなたが天国に旅立って7年が経ったね。あなたの思いは今も私の中で生き続けているよ。あなたと一緒に見た世界は儚いかもしれないけど、美しかった。その世界で生きる意味を見出したあなたはとても美しかった。今でもあなたの優しさに包まれて、私は前を向いて介護の仕事を続けているよ。

あなたとの出会いは介護の仕事を始めて間もない頃。あなたは入院先の病院から私の働く施設にやってきた。無表情で玄関から入ってくるあなたを明るい挨拶で迎え入れた。あなたは「挨拶なんてしなくていい。私は死にたいだけ。」と言って目を閉じた。私は言葉が出なかった。両親を早くに亡くし、若くして癌を発症、二度克服したが、医師から回復の見込みがないと宣告され、最期の住まいとして施設に入居を決めたそうだ。

入居後もあなたは常に暗い表情で毎日を過ごしていた。食事もほぼ摂らず、声掛けにも答えることがない為、ベテランの介護士ですら悩んでしまう程だった。当時、私は未熟な介護士で、生活の基本となる食、排泄、入浴の事ばかり考え、介助を頑なに拒むあなたに対してどう接して良いか分からなかった。そんな時、上司から「私たちの仕事は介助だけではない。介護が必要な人と捉えるのではなく、内面を大切にしなさい。」と助言を受けた。その言葉を考えながら、信頼を得られるように毎日返答がなくても声掛けを続けた。しかし、内容はひどく独りよがりで、自分の事ばかり話していた。

ある日私が独り言のように料理で失敗した話をしていると、あなたが突然笑い、「分かった。もう観念よ。毎日話してくれてありがとう。面白くないけど。」と言った。私は突然話し出したあなたを二度見した上でフリーズしてしまった。その姿を見たあなたは大笑いしていた。

その後、あなたは「一つだけ質問して良い?」と言った。私が頷くと、悲しそうな顔で話し始めた。「ねえ、理由がなくちゃ生きてはいけないの?私は病気になるまで楽しい事を後回しにして働いてきた。突然癌になって辛い治療を繰り返して結局助からない。私の生きる意味は何なの?普通の幸せが私には分からない。」と。私は言葉を探したが、結局見つからず「分かりません。でも私にできることはないですか?」と返した。あなたは笑いながら「馬鹿正直ね。うーん、それなら世界旅行に行きたい!」と想像を上回る要望を言ってきた。私は困惑したが「分かりました。」と答えていた。あなたは驚いた表情で「お手並み拝見ね。」と言った。

私は考えた。本当に旅行に行く事は困難であり、他の方法を考えるしかなかった。しかし、私に心を開いてくれた事に応えたかった。そして思いついたのがボイスレコーダーだ。私は元々動画の編集が得意な為、世界の観光地の画像に合わせて音楽を流し、実際に旅をしている様な雰囲気でナレーションをつけていった。第一作目のアメリカ編を完成させてあなたの部屋に向かった。

私が唐突に「今からアメリカに行きますよ!」と声をかけると、あなたは「何を言ってるの?」と戸惑った。私は聞こえていないふりをして、急いで準備を始めた。部屋を暗くし、タブレットを渡して、「準備はいいですか?」と声を掛け、再生ボタンを押した。空港の画像で「出発!楽しみだなぁ。機内に乗り込もう。」とナレーションを流す所から始め、アメリカに着いて自由の女神等を観光し、ロックな音楽をバックにハンバーガーを食べる様子を主観的に表現した。クオリティは微妙だったが、あなたの目は輝いていた。見終わるとあなたは「ありがとう。本当に旅行している気分だったわ。」と涙を流していた。それから私は世界各国の動画を作りあなたとの時間を過ごした。それが功を奏したのか、あなたは笑顔で過ごす時間が増え、徐々に食事も摂り、他の介護士とも話をするようになった。

そして私に「生きたい。少しでも長くこの世界で。」と言った。

それから半年。癌の進行には勝てず、急激に体調が悪化した。癌性の疼痛が全身に及んでいた。鎮痛剤を使用している為、一日の大半を寝て過ごす様になった。私自身もあなたの姿を見る事が辛かった。そんなある日、あなたは「ねえ、私もうだめかも。最後のお願い。ふるさとが見たい。」と言った。私は頷き、すぐに準備を始めた。

私は上司に事情を説明し、2日間の有休を取りあなたのふるさとに向かった。最後の動画になるかもしれない。だから、心を込めて作りたいという気持ちだけ私を突き動かしていた。ふるさとの風景、母校、近所の商店、それらを撮影し、あえてナレーションは入れなかった。唯一の音源は小学校にお願いして校歌を録音させてもらった。協力をお願いすると音楽の先生が快くピアノを弾いてくれた。

数日後、完成した動画を見ながら一緒に過ごした。あなたはずっと涙を流し震えながら見ていた。私はそっと手を握り、何も言わずに寄り添った。

見終わるとあなたは「私が聞いた質問覚えてる?答えはあなたが教えてくれたわ。生きる事に理由はいらない。あなたに会えて幸せだった。毎日が輝いていた。明日を待つことは試練だと思っていたけど、違う。明日を待つことは希望なの。どんな楽しいことが待っているのかなって。私の分も幸せになってね、あなたの純粋な心は沢山の人の心を満たすのよ。本当は死ぬのが怖かった。でも、今はあなたのせいで生きたくて仕方がないじゃない。ありがとう。」と言った。私は涙が止まらなかった。あなたは私の手を握った。

数週間後あなたは天国に旅立った。私はあなたに手を添え、泣いた。

生きる事の意味を教えて貰ったのは私かもしれない。

なぜここまでやるのかと聞かれた事もある。介護はもちろん技術、知識も必要だ。しかし、私は「生きる」を支える手助けをしたい。命や一日の価値は皆一緒だから。介護士の仕事は無限の可能性を秘めている。だから私は、時間が許す限り必要としてくれる人と共に生きたい。

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