第6回 看護・介護エピソードコンテスト『ああいう人になりぃさん』 杉山 和香子さん
5歳の私は祖母の病院受診についていくのが楽しみだった。それは、かき氷。祖母が帰りに立ち寄る甘味処でごちそうしてもらえるからだった。瀬戸内海沿いの小さな町の市民病院で薬を待っているとき、大勢の人が行き交う広い待合ロビーの長椅子に近寄ってきた一人の看護婦さんが「青木さん、元気?」祖母にそう声をかけた。それまでうつむいて目をつぶり眉間にしわを寄せていた祖母がパッと笑顔になり、その人と二言三言、言葉を交わした。その看護婦さんの後姿を見ながら、「ああいう人になりぃさん」と祖母は私に言った。
パーキンソン病から肺炎を起こし、祖母は他界した。祖母の遺した言葉は私を看護の道へと導いた。「ああいう人になりぃさん」その言葉はあの時の祖母の笑顔と共に私の胸に何度もよみがえり、あの時の看護婦さんの声、笑顔、たたずまいを思い出し、追いかけた。
若いナースの私は心筋梗塞の患者が救急車で運ばれて来るCCUで働いた。集中治療から心臓リハビリを経て、生活指導をし、退院する患者を何人も見送った。退院するときの患者さんはみな笑顔だった。「ああいう人」になれた気になっていた私は、ある日気づいた。笑顔で退院する人たちの背中に不安が宿っていることを。そして「この人は言っても聞かないのよ」という家族の言葉は不安の裏返しだということを。案の定、その人は再び運ばれて来るのだった。病院だけではダメだ、その人の生活が見える場所でずっと寄り添える看護を目指したい。漠然とそう思っていた。
13年間も専業主婦をしている間に介護保険制度ができ、ケアマネジャーという職業が誕生した。「これは私のやる仕事だ」迷わずケアマネの世界に飛び込んだ。急に歩けなくなって困っている人、親の物忘れが心配な人、病後の療養生活に不安がある人、末期の在宅療養を希望する人、様々な人の人間模様に振り回されながら必死で仕事をした。48歳でお亡くなりになった肝臓がんのSさんは看護師の資格のあるケアマネを希望され、私が担当した。何かと頼りにしてくださり、「あなたが来ると心にほっこりと火が灯ったよう」と、あの時の祖母のような笑顔を見せてくれた。しかし、癌の末期は駆け足でやってきた。Sさんとは2か月足らずでお別れだった。看取りに近づくとケアマネができることは少なくなり、お亡くなりのあと無力感を感じた。
ケアマネ6年目の春、会社から「訪問看護ステーション立ち上げチーム」の一員に任命された。たくさんの人に支えられて、訪問看護師として再びナースの仕事をさせてもらえる幸運に恵まれた。入浴介助やリハビリ、服薬管理、療養相談、意外に多い排便介助、そしてお看取り。ありったけの知識と技術でケアを提供し、「ああいう人」に今度こそ近づけるかもと、訪看に没頭し、毎日があっという間に過ぎていった。CCUにいた頃の理想だった「その人の生活が見える場所でずっと寄り添える看護」が実践できる幸せをかみしめられるはずだった。確かに訪問先ではたくさんの笑顔に出会える。でも訪看をやればやるほど「訪看」だけではその人の生活を支えられないことがわかり、その人の心にずっと火を灯し続けるにはたくさんの部門で「ああいう人」が必要なのだと思い始めた。
訪看5年目の秋、今度は会社が市から地域包括支援センターを受託することとなり、配属された。慣れない行政の会議や事業に「ああいう人」を目指している自分を見失いそうだった。包括に相談に来る人はみな、両手に悩みをいっぱい抱えてやってくる。ちょっとやそっとではその人を笑顔にすることができない。せいぜい、クスっと笑わせることができる程度。でも、その方の自宅を訪問し、その人の生活の細かな様子を見ると、その方の心配や困難の原因が徐々に明らかになる。そして分かったのは、本当の意味で、その人が笑顔になれるのは、人から何かをしてもらった時よりも、「自分で自分の明日を考え、自分でなんとかできるようになった時」だという事。88歳女性のMさんは、久しぶりに訪ねてくる娘に手料理をふるまいたかった。でも、最近膝が痛くてスーパーまで買い物に行けない。「もうダメだね…」嘆くMさんのために民生委員さんの協力を得て、移動スーパーの利用を持ちかけた。歩行器をレンタルし、なんとか300m歩けるよう訓練し、初めてのお買い物に付き添った。「わぁ!切干大根も売っとる!これ娘の好物なんだわ」と目を輝かせるMさん。一緒に買い物していたご近所さんが、「そんなに買ったら持って帰るの大変だがね。うちまで持って行ってあげようか?」「このカゴ使う?」久しぶりに外に出てきたMさんに次々声がかかる。「おばあちゃん!、ああいう人がたくさんいたよ!!」私は心の中で思った。そうなのだ。自分一人で「ああいう人」を目指すのではなく、もともと地域にいるたくさんの「ああいう人」を探して手をつなげばいいんだ。「ああいう人」には誰でもなれる。それを伝えることがこれからの私の仕事だ。
人類が新型コロナウイルスに打ち勝った日から、スタートしよう。
みなさーん!ほんの一瞬、誰かに声をかける事から始めませんか?