選考委員特別賞
第6回 看護・介護エピソードコンテスト『おばあちゃんありがとう』 飛川 希さん

祖母がうちに来ることになったのは七年前のことです。僕が小学校一年生、兄は四年生、妹は四才でした。

祖母はうちに来る前、埼玉県に祖父と二人で暮らしていましたが、祖母のパーキンソン病が進み、介護していかなければならないので、うちに来ることになりました。僕が幼稚園生の頃の祖母は優しいイメージだったので、一緒に暮らせることをとても楽しみにしていました。

ですが、うちにやって来た祖母はその優しい祖母とは違っていました。

病気が進んだことにくわえて、新しい環境に慣れないのか、幻覚が沢山見えるようになり、しょっちゅう怒ったり、泣いたりしていました。そのため祖母が兄や妹を泣かせてしまうことも少なくありませんでした。僕はそんな祖母の姿に、戸惑っていました。
祖父はいつも「病気だから仕方ない」と言うのに対し、妹は「病気だったら何でもしていいのか」とよくもめていたのを覚えています。

そんな日が続き、僕は仕方ないものだと思うようになっていきました。

その頃はまだ、祖母はぎりぎり立ったり歩いたりできていましたが、ついには転んでしまい、車椅子生活となってしまいました。

その後、祖父はケアマネージャーの方と相談を重ね、「祖母をデイサービスに行かせる」ということに決めました。最初はとても嫌がっていたデイサービスも日を重ねるごとに祖母の楽しみのようなものに変わっていき、デイサービスに行きはじめたことによって、顔も心も昔のように優しくなっているような気がしました。

ぼくはその頃、祖母の『存在』というものに気づき始めていました。

いつもはいるはずの祖母が小学校から帰ってくると、「デイサービスに行っているからいない」ということに少し変な気持ちがしました。また、施設でのお泊りも始まり、会えない時間が増えました。わがままだった祖母がいないのに、とても寂しく感じました。ぼくは「自分はこのままでいいのか・自分に何かできることはないのか」と考えることが増えるようになりました。

ちょうどその頃、祖母に合った薬が見つかり、僕らと徐々に会話ができるようになっていきました。それが僕はとても嬉しく感じました。祖母にもそれが伝わったのかよく笑うようになりました。僕にはその時、分かったような気がしました。僕は祖母のそばにいて、話したり笑ったりしてればいいんだ、ということがです。その頃から祖母と接する量は増えていきました。昔の怒っている祖母の姿はもう、頭から消えていました。

僕は大きくなり、『介護』というものをよく理解できるようになりました。最初は祖父が介護しているところをただ見ているだけでしたが、今では僕も祖母の介護を手伝うようになりました。今はもう祖母の病気の悪化は止まり、元気に過ごしています。祖父は祖母がとても元気になったのは、孫の僕らのおかげだとよく言ってくれます。

祖母のおかげで、将来は介護関係の仕事もいいなと思いはじめました。そんな色々な経験や思いをさせてくれた祖母に、心から「ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいです。

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