選考委員特別賞
第6回 看護・介護エピソードコンテスト『ダブルケアの極意』 見澤 富子さん

昨年、第一子が誕生した。しかしやっと授かったわが子ではあったが、正直喜んでもいられなかった。なぜなら私には育児を頼る相手がいなかったから。主人は海外赴任で日本におらず、母は父の介護でそれどころではなかった。実を言うと父は53歳から脳出血が原因による脳血管性認知症を患っている。だから息子が生まれた日も「父さんがデイサービスに行ってから病院に行く」と言って母はすぐに病院に来ることができず、やっと来たと思えば「もうすぐ父さんがデイサービスから帰ってくる」と飛ぶように帰って行った。これ以上母に迷惑をかけるわけにいかない。そう思った私はすぐに自宅に戻ろうと決意。しかし産後の肥立ちが悪く、結局里帰りをすることになってしまった。

「お母さん、ごめん。元気になったらすぐに帰るから」

私がそう言うと「いいから、いいから」と母は笑った。しかし私に用意された部屋。それは庭の離れだった。おそらく父のことで迷惑をかけまいという母なりの気遣いなのだろう。久しぶりに会った父に以前のような穏やかな姿はなかった。

「殺すぞ!さっさと飯作れ!」

昼夜問わず外にまで聞こえる罵声。テーブルを叩く音に「やめてください」という母の悲鳴が重なる。もう直視できない。たまらず私は父を止めに母屋に入った。しかし父は「うるせえ」と私を突き飛ばし、母まで「こっちのことは構わないで」と追い返した。私はそんな両親の姿に少しずつ、しかし確実に、心が離れていった。

しかし里帰りをして一ヶ月後のことだった。母が買い物中のスーパーで倒れ、救急搬送された。診断は脳硬塞。一命は取り留めたものの、医師からは後遺症が残ると言われた。私は母に対して何と声をかけていいかわからなかった。だけど悩んでもいられず、母屋に移り父の介護をすることにした。しかしそれは大変なんていうものではなかった。とにかく朝から機嫌が悪い父。せっかく作った食事も気に食わなければテーブルにぶちまけ、「こんなもの食えるか」と怒鳴り散らす。内服薬を出せば「いらない、うるせぇ、殺せ」と大声を浴びせ、コップの水をかけられることもあった。一日に何度も行くトイレ。「お父さん、ごめんね。こっち終わったら行くから」と言っても「なんじゃ、こら。もっかい殴られたいんか」と言って腕をつかむ。気づけばその腕は蕁麻疹が出て腫れあがっていた。父はそんなものに気づくはずもなく私をトイレに引っ張った。もうボロボロだった。いつだって父と息子が寝たあとソファになだれ込んだ。

しかし介護の限界はやって来た。ある夜授乳をしていると一階から「おい、便所」と父の声がした。
「ごめん。これ、終わったら行くから」

だけど父が聞き入れるはずもなく階段を上ってくる。いつもならそこで私は手を止めた。しかしその時はできなかった。足音が近づくなり、怖くなり、思わず部屋に鍵をかけた。

「おらあ、殺されたいのか!おい、殺すぞ」

ドアの前で激昂する父。ドアを叩く音は強く、その強さが私を恐怖に陥れる。しかしその恐怖さえ次第に憎しみや殺意にまで変わろうとするのを感じた。まずい。私はたまらず警察に電話をした。

「もう父のことを殺してしまいそうです」

まもなく警察が到着し、父をなだめて寝室に連れて行った。あれだけ激昂していた父も警察官を見るなり穏やかになった。その様子を見るなり安堵し、なぜだろう、涙が止まらなくなった。

警察官は言った。
「あなたは悪くない。介護はひとりじゃ解決できませんよ」

そう言いながら「あした相談に行きましょう」と背中をさすってくれた。あなたは悪くない。その言葉にどんなに救われたことか。本当は助けてほしかった。手を貸してほしかった。だけど言えなかった。少しでも「助けて」って言えたら。たまには「できない」って言えたら。きっと、母だって、今ごろ。

まもなく母は退院し、リハビリ生活となった。後遺症で右半分が動かしにくく、歩行器や車椅子が必須である。日中はヘルパーさんを頼みながら、私も介護にあたっている。苦渋の決断ではあるが父は特別養護老人ホームに入所することになった。入所して早二ヶ月。最初は嫌がっていた父も徐々に慣れ、デイの時には参加しなかった体操にも精を出している。午前中に顔を出すと「よく来たなあ」と『おじいちゃん』の表情を見せる。職員さんの前では内服薬もちゃんと飲み、お礼も言う。なんだか嬉しいような、ちょっと悔しいような。でも今の父は前よりずっと笑顔が多い。

現在日本におけるダブルケア人口はおよそ二十五万人と言われている。高齢化や晩婚化により、年々その数は上昇している。一方誰かを頼ったり、頼ることすら引け目を感じている人もいる。「親だから」「家族だから」だけどそれは介護の正解ではないと思う。百点じゃなくても、百パーセント担えなくても、一日のどこかで自分も相手も笑顔になれたら、それが正解。介護はしんどいし、ぶつかることだってある。だけど互いに肩の力を抜けたら時計の針は戻せないけれど、これまでとは違う瞬間(とき)を刻めるはず。今はそんな風に思う。

この場を借りて介護に関わるすべての人に伝えたい。どうか休んで。どうか寄りかかって。ソファなんかじゃなくて。

あなたを想うその人に。