優秀賞
第6回 看護・介護エピソードコンテスト『ONE TEAM』 佐々木 良子さん

不慮の事故で全身麻痺となり十五年が過ぎた。幼かった息子たちは、それぞれ大学生、高校生へと成長した。

当時、全身麻痺に加え、シングルマザーとなった私が子育てをするなど、とうてい不可能だと猛反対を受けた。常識で考えたら当り前だ。無理、無謀、無茶だ。まさにその通りだった。けれども、諦めたら息子たちと離ればなれになってしまう。一歩も引くわけにはいかない。借りられる"手"はすべて借りて、ただひたすら息子たちと生きることに全力を注いだ。私は一人ではなかった。主治医の先生にリハビリの先生、訪問看護師さんに弁護士さん、たくさんのヘルパーさんたちのおかげで、「五年、生きられたら」と言われた余命の壁を乗り越えることができた。

そして今、向き合わなければならないのは、母親の介護である。"老老介護"が問題視されているが、私の場合は、"障老介護"とでも呼ぶべきだろうか。七十九歳になる母は、自宅から歩いて三十分のところに一人で暮らしている。

怪我をする以前、夫はうつ病を患っていた。通院やカウンセリングを受けながら一進一退の日々を過ごしていた。そんな夫が私の実家への引越しを口にしたのは、自然豊かな場所での子育てや、心機一転再スタートを切りたかったのかもしれない。とは言え、世間体を何より重んじる母に、うつ病が理解できるとも思えない。不安だった。そしてその不安は的中し、母は夫に「キチガイ」と罵るようになった。わかってもらおうと、何度も話し合ったが無駄だった。家族を守るために別居を決意した。苦渋の決断だった。

夫の病気や子育てに奔走するあまり、自身の体調を気遣う余裕がなく事故が起きた。一週間生死の境を彷徨ったのち、奇跡的に一命を取り留めるも、首から下の自由を失う全身麻痺となった。九カ月にも及ぶ辛い入院生活を終えて自宅に戻ると、夫から離婚を告げられた。追い打ちをかけるかのように、母は私に「こんな役立たずの身体になって」と言い放つ。神も仏もないとはまさにこのことである。

そして、車いすになった私を「ご近所さんに見られたらみっともない」を理由に、実家への立ち入りを十年の間拒んでいた。普通ならこれで縁も切れそうなものだが、孫にしてみれば、どんなおばあちゃんでもかけがえのないおばあちゃんなのだ。親の都合や感情を引きずるのは止めようと思った。

そんな母も、さすがに老いには敵わなかった。今から五年前、腰の手術を受けることになり、二週間ほど入院した。自由に動くことができない不自由さを目の当たりにして、「今まで悪かったね。あんたはよく車いすで二人の子供を育ててきたね」と、つぶやくように言った。胸のつかえが軽くなった。実家への出入りも許された。それからは退院後の生活に向けて、ケアマネージャーさんとの打ち合わせや、ヘルパーさんの手配、住宅改修など、急ピッチで話を進めていく。

経過も良好で無事退院となった。杖を使えば一人で歩けるまでに回復したので一安心。あとは、転んで骨折しないように過ごすことが大切だ。買い物や、おかずなどは息子たちと手分けをして運んだ。朝に晩にと安否確認の電話もかけた。ヘルパーさんは週二回入ってくれた。一番有り難かったのは、昔馴染みのご近所さんだ。何かにつけて気にかけてくれたおかげで本当に心強かった。

その後、脳出血や脳梗塞も発症したが、発見が早く大事に至らずに済んだ。後遺症が残らなかったのは不幸中の幸いである。

今は軽い認知症もあるが、一人で頑張って生活している。もちろん、ヘルパーさんの助けを借りながら、私たち家族総出で支えている。

私自身、たくさんの人に支えられながら生きてきた。毒舌を吐いていた母だって歳は取る。人は一人では生きていけない。大なり小なり支えあって生きているのだ。

介護に大切なのは「ONE TEAM」

家族、地域、社会が一つになってこそ乗り越えられる。そのことに感謝しながら、与えられた寿命を意義のあるものにしていきたいと思っている。

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