大賞
第8回 看護・介護エピソードコンテスト『体温が伝わる手紙~あなたが残した愛のかたち~』
中島 圭佑さん

世界は燻り嘆き、揺れている。一つ一つの出来事が織りなしていた日常は、非日常になった。私たちは絶対に負けない。この世界で抗って、幸せだって叫びたい。あなたが残してくれた勇気と思いを胸に。

雪が深々と降る冬の日、あなたは肺癌で余命宣告を受けた。

あなたは家族や私たち職員に「十分生きたけ、満足。」と笑って言った。一番怖くて、辛いはずなのに、周りの人を安心させようと言ったのだろう。しかし、私はその笑顔の中に隠す、悲しみを感じた。

娘様は「本当は治療して欲しいけど、お母さんの意志を尊重するよ。でも、一日でも長く生きて。」とあなたの胸に顔を押し当てて泣いていた。
あなたは、娘様の頭を撫でながら「そないに泣かないの、うんうん。わかったけ。」と言った。

あなたは疼痛管理以外の治療を拒み、長年暮らした施設を最期の場所として選んだ。

しかし、そんな中、新型コロナウイルスが猛威を振るった。市内の病院や施設でもクラスター感染が相次いで発生し、今までにない脅威となった。

施設でも万全の体制が敷かれ、感染症対策で面会もオンラインやガラス越しの方法に切り替えられた。あなたが、タブレットを撫でながら優しく娘様に語りかける姿を見て、私たちは歯痒かった。大切な命が限られるあなたの事を、このまま、ただ見過ごす事はできない、いや、したくない。皆がそう思っていた。

だからこそ、私たちはできる限りあなたに寄り添った。

ある日、あなたは「ねえ、字を教えて。私は字が書けんけ、それだけが後悔なんよ。」と言った。戦争で父母を失い、遠い親戚に預けられたが、折り合いが悪く、辛い思いをしたと聞いた。幼い兄弟が多い家計を助ける為に工場で懸命に働いたそうだ。学校に行く余裕はなく、生きるだけで精一杯だったと聞いた。

あなたは言葉を続けた。

「学校に行ける事が本当にうらやましかった。私もずっと思ってたよ、学校にいきたいってね。同級生が工場の前を通るけな、奥にひっこんで隠れてたんよ。悔しいやら、涙が出てね。」と話してくれた。

その後、結婚して夫婦でクリーニング店を開いてからも読み書きできない事で悔しい思いは続いたそうだ。クリーニングの受け取り表に名前を書くことができず、「すいません。字が書けんけ、お名前を書いてもらえんやろか。」と客にお願いするしかなく、時には子どもに代筆を頼む事もあったそうだ。

その事で馬鹿にされたり、辛い言葉を掛けられることも多かったそうだ。

「勉強する機会はあったんやろね。でも、あっという間に時が過ぎて今まで来てしまったんよ。」とあなたは話し、下を向いて悲しげな表情を見せた。

私たちに迷いはなかった。あなたの願いを聞き、一緒に頑張る事を決めた。

それから毎日、平仮名から練習を始めた。私たちも読み書きを教えた経験なんてない。身振り手振りで説明をする職員、手製の教材を使う職員、夜間中学の先生にアドバイスを貰う職員もいた。みんな勤務時間など関係なく、必死だった。

何でそこまでするのかと聞かれた事もある。答えは単純。最期の願いを必死に実現しようとする人を支えるのは自然な事だから。コロナ禍だからできるんでしょ?と心無い言葉を受けた事もある。違う、私たちは介護者としても、人としても一緒に生活をしてきた人の幸せを願うのは当然だから。

ひらがなで五十音が書けるようになった頃には、起きているのがやっとになっていた。あなたは震え、息を切らしながらペンを握った。あなたはペンを離さなかった。手拭いで手とペンを縛ってでも練習を繰り返していた。

私たちも涙を堪えながら教えた。

みんなあなたに気付かれないところで泣いていた。

そしてある日、「今日はお願いがあるの。一人にして。書きたい物があるけ。あと先生に鎮痛剤を今日だけ抜いて欲しいと伝えてくれんかね。あれ飲むと眠たくなって書けんけ。」と話した。

私たちは希望を受け、心配はあったが、あなたの望むようにした。数時間後、あなたは、書き終え、満足そうな表情で「ありがとう、ありがとう。」と小さな声で私たちに囁いた。

それから一週間後、あなたは天国に旅立った。

最期の一週間はずっと穏やかに眠る時間が続いた。

やり残した事を成し遂げたのだろうか、あなたは満足そうに眠っていた。

直接の面会も実現し、娘様、お孫様とも会え、あたたかくぬくもり溢れる家族との時間を過ごす事ができた。家族様の声掛けに反応し、手を握り返す事もあった。

皆であなたの思い出を話しながら、時間を共有していた。

最期の瞬間は、皆に見守られながら、にこりと笑った様に見えた。

あなたが何故ここまで書く事にこだわったのか。

それは手紙を書く為だった。

娘さんと妊娠中のお孫さんへの手紙だ。

「自分が死んだら渡してほしい。」と希望を受けて、私が通夜の後に事情を話し、娘様に手渡した。あなたの希望で、字の勉強をしていた事は家族様には伝えていなかったので、驚いていた。

娘様とお孫様は手紙を読みながら崩れ、声を出して泣いた。

そこには「うまれるいのちをたいし(だいじ)になさい。あなたたちはわたしのいのち。あいし、みまもつています。かなわぬことはない。いつしよ(いっしょ)にいきてくれるひとがいる。わたしのしせつのまごたちのような。しあわせなじんせいだった。うれしいようれしいよ。」となんとか読める字で書いてあった。

私たちも我慢せず、あなたの前で大泣きした。

今世界は「静」を求め、鮮やかな日常から遠ざかり「無色」になっている。

この無色の世界は、何もしなければ変わらない。

しかし、無色だからこそ、好きな色で彩れば、永遠に広がる。

世界が自然に変わらないなら、必死に抗って変えてやる。

生きることは時に儚くて難しい、だからこそ幸せを感じる時に心がぐっと熱くなる。あなたが自分で色を加え、周りの人からも色を受け取り作りあげた人生は幸せでしたか?

私はあなたに会えて幸せでした。ありがとう。

  • 広報誌オレンジクロス
  • 研究・プロジェクト
  • 賛助会員募集について
  • Facebookもチェック